9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

打ちのめされた話

たとえばこのブログの最後は「がんばるぞい。」で終わるのであって、具体的にどうこうすることをがんばるぞ!と書けないのはつまりはその具体的プランが無いということである。さらには「がんばるぞ!」ではなく語尾を「ぞい」と少しおちゃらけた形にするのも真剣な具合を隠すような偽装であり、そもそも「がんばる」自体もあるいは幼さを演出するためのものであることが腹立たしくなり、最後を「がんばるぞい。」で締めて公開ボタンを押すと同時に今から書くことに対しても書いたことに対しても「ぐわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!ちくしょ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」となるのが目に見えているのが悲しいのだけれども、それでもなお書かないと、つまりは吐露しないと、あー、こりゃ駄目だってかんじなの朝7時、早起きして支度を済ませて自転車に飛び乗り会社がある恵比寿、開店と同時に入ったプロントでアイスコーヒーを飲みつつ頭を抱えながらチュラチュラと書いているのであって。

 

3日連続で打ちのめされた。

ズン、ズン、ズン、と3日連続でそれぞれひとつずつ、別方向から打ちのめされた。

 

 

3日前、つまりは最初の一撃は遠いのか近いのかよくわからないような位置のものであって、あるいはなんで貴様がそれを見て打ちのめされてんだよという話ではあるけれども、むしろ3つすべてに対してなぜ貴様ごときがというかんじではあるけれども、ふたつ目三つ目は友人に打ちのめされたのであり友人だからこそ打ちのめされたのであり。それでいうと一つめも友人一人介せば当事者に行き着くような類ではあるけれども。

 

おれ自身はミジンコレベルの矮小な存在だけれども、なぜかまわりにはすごい人が何人もいる。もちろん領域というのはあって、なんとかワクチンを開発して十億人の命を救うとかそういうレベルの話ではないけれども、それぞれ化物級であり己の力で日本全国の何十万人何百万人を相手にしている。相手をするというのはつまりは何十万人何百万人がいる場所に飛び込むのではなく、何十万人何百万人を自力で引き寄せさらには魅了している。

 

たとえばおれもウェブサイトをつくる仕事をしており、何十万人が利用するサイトに携わったり、ちょろっと仕掛けたやつが結果何十万人か引っ張ったってのも無くはないんだけれども、彼らとの違いは自力感、たとえばおれの場合は元から地盤があるようなところでの結果であり、その結果に対しておれがどれぐらい貢献しているのか、自信はあるんだけど確証がないところがあったりする。それに比べて彼らはその地盤を自らつくって切り開いて開拓していて。もちろんそこに至るための努力をしたりリスクを背負ったりした結果であり、それがおれとの絶望的な差だというのがわかっていて、それがわかったうえで踏み出せないというか踏み出す方向が見えず打ちのめされる。

 

友人であり彼らのファンであり彼らをリスペクトしていてなお、彼らがすごいのを出してくるたびに「ぐう〜〜〜〜〜〜っ」とか「ダァ〜〜〜っ」とか「ちくしょ〜〜〜〜〜!!!!」となるのであり、その一方でおれは何をしているんだという焦燥なのかあるいは絶望なのか失意なのか自暴なのか捨て鉢なのかやけくそなのか自暴自棄なのか失望なのか絶念なのか捨鉢なのか悲観なのか絶念なのか銷魂なのか悲観なのか、ありったけの絶望の類語を並べる。

 

たとえばシン・ゴジラを見た島本和彦先生の一連の流れがおもしろい。

togetter.com

ここでは化物が化物相手に「ああ〜‼︎やめろ庵野‼︎俺の上を行くな〜‼︎‼︎」と言ってるのであって、超次元での話ではあっておれとはレベルが違うのだけれども。

 

たとえばおれはシン・ゴジラを見て「ちくしょ〜〜〜〜〜!!」とはならないのはつまりは映画が自分の領域じゃないというのを知っているので当事者感はまったくなく、1ユーザーとして見て「うほっ、真正面からおもしれ〜〜!」となる。

しかし自分の領域になると話が変わってくるのであって、「ぐう〜〜〜〜〜〜っ」とか「ダァ〜〜〜っ」とかなってしまう。

 

では自力で何かしているかというと、ブログをつらつらと書いたらたまたま入り込めた友人がいたりしたラッキーが重なって一つがマグレ当りした。

20to4000.hatenablog.com

 

これも20万人近くが読んでるんだけどマグレ当りも甚だしく、もんたよしのりに言わせれば「んなもんハナクソやで」というかんじで、その後が伴わない分より焦燥が広がっていく。たとえば友人と飲んだりしていてこの話をしたらおそらく通じるところもありつつ落とし所はがんばんなきゃになりそうであり、そこが落とし所になるのはおれ自信が曖昧だからであり。共有することで発散しても仕方がなく、打ちのめされたのは打ちのめされたまま受けとめてあとは自分の問題であり。

 

だんだん何が言いたいかが支離滅裂となってきているけれどもつまりはそんなかんじ。

がんばるぞい。