9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

今、新日本プロレスがおもしろい。

春一番が吹き2月とは思えない暖かさだ。また明日以後は寒さが戻るらしいけど、このまま暖かくなってほしい。なぜか。露出が増えるからだ。待ちゆく人の露出が増えるからだ。もっと薄着になろう。おれの持論では街の露出と景気は比例している。この低迷する経済。経済政策がどうとかニュースで流れるけれども、おれの財布には全然影響していない。早く春になればいいのに。露出が増えればいいのに。

 

露出といえばプロレスだ。屈強な男子がパンツやタイツ一丁でぶつかりあっている。

 

木曜日の2月11日は建国記念日で祝日だった。もちろん仕事は休みだ。その日は大阪で新日本プロレスの大きい大会があり、スカパーで生放送がされていた。おれはスカパーを引いていない。ではどうするか。ひとつにはwebの新日本ワールドというサービスの月額制サービスに入会するとみることができる。しかしおれは入会していない。ではさらにどうするか。スカパーを引いている友人宅に遊びにいけばよい。当日は友人宅に計7人集まり観戦した。新宿から埼京線で赤羽へ、赤羽から京浜東北線に乗り換え蕨に。プロレスを見たりボードゲームを見に何回も遊びにいってるがやはり遠い。

 

ここでひとつおばあちゃんの思い出話をしよう。おばあちゃんはおれが幼稚園のころにはもう80を越えるぐらいのおばあちゃんだった。家も近く、たまに遊びにいっていた。おばあちゃんは志村けんとプロレスが大好きだった。家に遊びにいっておれがテレビをつけると、「プロレスか志村けんやってないんか」とよく言っていた。今でこそ深夜放送だけだけど、おれが幼少のころは夕方にプロレスの放送をしていた。当時は長州力や猪木が出ていた。ショータ・チョチョシビリという名前を憶えているのは当時リアルタイムで見ていたから。今調べてみると1989年、おれが5歳か6歳のころだ。おれはおばあちゃんとプロレスを見ていた。

 

時は過ぎる。プロレスの放送が深夜枠になるとおれは新日本プロレスを見なくなった。見なくなったというか見れなくなった。でもプロレスは好きで中学生のころにはケーブルテレビでアメリカのプロレスWWE(当時はWWF)を見ていた。ストーンコールド・スティーブ・オースティンやショーン・マイケルズが出ていた。WWEはエンタメ性、ストーリー性が強く、見るものを惹きつけた。新日本プロレスは闘うというのがメインだけれども、WWEはストーリーがメインだ。完全なエンターテイメント。誰と誰が抗争しているとか、人と人でストーリーがつくられキャラが作つくられるプロレスだ。当時のおれは週一で進むストーリーに傾倒した。

 

また時は過ぎる。高校にも入ると放送している時間に家に帰ることができずWWEも見れなくなる。それに取って代わったのがK-1とPRIDE、つまりは総合を含む格闘技だ。桜庭和志が最強と言われていたグレイシーを倒していく。ノゲイラが表れ巧みな寝技で強敵を倒していく。ヒョードルが出てきてノゲイラを殴り倒す。格闘技ブームは加速し、おれは全てを録画して見まくった。そのリングにはたまにプロレスラーがあがっていては負けていた。再選して勝ったけれども中邑真輔イグナショフに負け、永田がミルコやヒョードルに負け、挙句中西学K-1のリングでわけのわからん選手にKO負けを食らう。その当時はもうプロレスを見ることはほとんどなかったけれども、たまに週プロをコンビニで立ち読みしたり、小川と橋本の試合なんかは見ていたぐらいだ。新日本プロレスの暗黒時代というものだろうか。

 

今。新日本プロレスがおもしろい。プロレスも見ないまま時が過ぎる。大学を出て社会人になって大阪で働いては辞めて東京に出てきた。今、新日本プロレスがおもしろい。また見るようになったのは3年ぐらい前だ。オカダカズチカというカリスマが現れた。オカダの試合がおもしろい。自らをレインメーカを称し、新日本プロレスにカネの雨を降らせる。ドロップキックは誰よりも高く美しく、レインメーカーという必殺技は破壊力に優れる。見るものをアツくさせる試合が展開される。そこにかつてからリングでがんばっていたカリスマも呼応する。棚橋弘至中邑真輔だ。昔からのカリスマが現れたカリスマにより覚醒される。他選手も役割を全うし存在感を輝かせる。リング上では選手たちが輝きアツい試合を見せてくれる。今、新日本プロレスがおもしろい。

 

「プロレスって八百長でしょ?」という者がいる。屁。そんな奴はまるで屁である。そういうものではないのである。ただ目の前で繰り広げられる戦いを見ればよいのだ。そして受け入れろ。目の前に起こっていること全てを受け入れればよいだけなのだ。何を恐れている。受け入れることを恥ずかしがってはいけない。セックスだ。受け入れろ。恥ずかしがるな。愛すればいい。明るさが恥ずかしいのであれば薄明かりの中から覗けばいい。受け入れろ。2ちゃんねるのプロレスの理不尽な点を強引に解釈するスレでも見ろ。愛に満ちあふれている。愛とは受け入れることであり、受け入れるということはすなわち愛だ。すなわちセックスだ。おばあちゃんがかつて愛した新日本プロレスは今、最盛期を迎えている。