9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

寒い。

寒い。

 

12月も暮れゆきあと1週間やそこいらでクリスマスを経て大晦日、さらには新年を迎えてそりゃ師走と呼ばれるぐらいにはバタバタと忙しく、ちょっと前までロンTで過ごしていたかと思うと、今ではヒートテックが無いと死ねるぐらいには冷えており、パッチというのかタイツというのか、ジーパンの下に履くものが無いと寒さが痛く刺さる。今年のノーベル賞ではニュートリノが質量をもつことを示した先生が受賞しているわけだけれども、もしかしたら寒さにも質量があり、その質量は気温が低くなるに連れて質量を増し、鋭さを磨き、肌に突き刺さっているのではないかという仮説を立てられるのではなかろうか。そしてそれを立証したならばノーベルお天気賞もとれるのではなかろうかと思われる。ニュートリノが何か知らんけど。つまりは下半身はヒートテックのパッチに任せればよいのである。問題は上半身である。分が厚い上着、ジャケット、ジャンパーやコートを着ることにより外的な刺激は防げるけれども、問題は室内である。室内の寒さこそが敵である。家、部屋というのはリラックス、すべてのしがらみから解き放たれる場所であり、なんなら全裸で過ごすべき空間、世間とは離れた自分の世界が築かれてしかるべきである。しかし冬である。12月である。この冬に部屋といはいえ全裸でいるとどうなるかは自明である。ではジャンパーを着てはどうか。家でジャンパーを着る。アホである。家という空間では先述のとおり全裸であってしかるべきであり、うれしいことがあれば全裸で踊り、悲しいことがあれば全裸で泣く、そういう空間である。そこで君は部屋というものには文明の利器であるところの暖房があるのではなかろうか、と思うかもしれない。なるほどたしかに暖房器具、部屋の温度を暖め快適に過ごさせてくれる最高の産物である。しかしたとえばおれの部屋、30平米程度のワンルームであり、順番でいうと玄関、キッチン、テレビとソファエリア、ベッドエリア、ベランダとなっており、悲しきかな暖房機器はベランダ側の端っこについているわけである。暖房1機で30平米を暖めるのには時間とエネルギーが必要であり、部屋があったまってくる頃には朝を迎えている。寒い夜は寒い夜のままにぶるぶると震え続け、眠りについて目がさめるとあったまっているぐらいになってしまうわけで、つまりは全裸でダンスを踊ることも泣くことも許されないのである。まぁ端的に言うと寒い。

 

人は時に判断を迫られる。いや、判断を繰り返して日々の生活を過ごしているといっても過言ではないだろう。何をするにも判断をしており、それはもちろん大なり小なりあるけれども。部屋が寒いという問題に際しても大きな判断を迫られるときがある。それは寝るときにジャージの下にヒートテックを履いてよいのかどうかという判断である。履くのはたやすく暖かい。履くだけだから。ヒートテックを履くだけであたたかく寝ることができて最高である。では問題は何かというと、ヒートテックを履いたまま寝てしまった翌日である。人には免疫というものがある。そして固定観念というのもある。免疫とはすなわち暖かさに慣れてしまうということである。ヒートテックを着ることによって得られる暖かさを当たり前のこととして体が認識されることであり、固定観念というのは部屋の中より外のほうが寒いのではなかろうかという強迫観念である。つまり問題はヒートテックをしたまま寝てしまうと、体が暖かさに慣れた状態になってしまい、翌朝にはもう着るものを増やすこともできずに寝るときと同じ状態で外に出るということである。部屋より寒いであろう外に出ると、当然いつも以上の寒さを感じるものであり、これでは寒さに耐えられるはずがない。つまりは寝るときにヒートテックを履くのは翌日のためには許されないものであり、ジャージひとつで過ごすことがおすすめされる。判断を誤ってはいけない。この判断はとても大事なもので、もし君が脱サラして喫茶店を開店するか、寝るときにジャージの下にヒートテックを履くか、どちらかを判断しないといけないのならば、脱サラ喫茶店を選ぶのがよいだろう。そしてサイフォンでゆっくり淹れたおいしいコーヒーをおれに飲ませてくれよ。通うからさ。店内はクラシックを流そう。G線上のアリアなんかを流してくれるとうれしいな。そこでおれは待ち合わせをするよ。誰を待つかって?それはまぁわからないけれども、素敵な人だったらいいね。窓の外には雪が降ってさ。とてもホワイトなクリスマスだよ。まぁ端的に言うととても寒い夜に。

 

会社や学校も冬休みとなり、つかの間の長期休暇に入る。つかの間の長期休暇というと短いのか長いのかわからない表現となるけれども、それはつまりは長いものもいざ終わってみると短くかんじてしまうもので、後悔が残る休暇ということである。人は後悔を繰り返す生き物でありあれしときゃよかったこれしときゃよかった明日から会社だクソやろーとなげやりになることが見えている。やはり後悔をしないように何にでも区切りをつけるというのは大事なもので、それはたとえば1年や1ヶ月、ひいては1週なんかでもよく、よし今年はヒップホップで食うぞ〜〜と決意したり、今月はお金を節約するぞ!と家計簿をつけ始めたり、さて月曜日だ仕事をがんばるぞいと息まいたり、この土日でギャンブルはやめだバカヤローと決意を新たにする日曜日の夕暮れなんかも幾度経験したことかわからない。区切りのスパンは何層にも分かれるわけだけれども、やはりいちばんわかりやすいのは年末年始である。大晦日には紅白を見て除夜の鐘を聞き、寒空の下、実家の近くの神社に行くと焚き火をしていたりお神酒が配られているわけで、ぶるぶる震えながらお参りの列に並び、賽銭を投じた後にポンポンと二礼二泊一礼、「おれは今年はビッグマネーをゲットしたいんやがどうだすか、これをしたいとかは特にないんやけれども神さんよ、なんか簡単にビッグマネーをゲットできませんのんか、楽にお金が稼げんもんかしら。ほら、こんな寒いのにこんな並んでお賽銭も投げ入れてますやん。ちょろっとぐらいお願い聞いてくれてもよろしおまっしゃろ。ねぇ。なんとかなりませんかね。なんか1日に1クリックで済む仕事とかおまへんのやろか。いや、楽に稼げないことなんかはもう重々承知しておりますよもちろん、世の中そんな甘くないってね。うん、わかってますがな。ただね、もうちょいね、そうそう、わかりますかね。もっとこう楽ちんというかプレッシャーがないというかですね、気楽な、そうそう、気楽なお仕事とかあったりしないかな〜〜、なんてね。そういうやつですわ。17時ぐらいには帰れてね、ですです、アフターファイブっていうやつですか。わかんないんですけどなんかそういう言葉もあるじゃないっすか。9時5時でね、残業とかはなくてですね、まぁ仕事中もなんかyoutubeとか見れたらうれしいっすね。はい。で、まぁ5時にはあがってどっかで一杯引っ掛けて帰るとかそういうのがいいんすわ。なんか19時とかに外歩くともうべろべろになってるスーツのおじさんとかいるじゃないっすか、はい、そういうね、どこ勤めてんだ〜〜、みたいなおじさんですね。そういうのがいいなぁ〜〜、っていうね。そういうのこそが健全っていうんじゃないですかね神さま。わかりますかね。やっぱ健全に生きるべきですよ、我々人類。仕事を終えて一杯ひっかけて帰ってね、まだ帰るころには22時とかそれぐらいなの。暖房が効いた温かい部屋テレビを見たりDVD見たりしてね、もちろんダンスもですよ、もちろんです、お風呂入ってね、髪乾かして寝間着に着替えてね、ジャージですよジャージ、で布団に入ってね、え?あ、ぼくは布団の上に毛布派です、はい。で暖かくして寝るわけですよ。そりゃもう朝なんかは起きたくないなぁっつって、あと5分寝かせてくれ〜〜って叫ぶ勢いで起きたりしちゃってね、コーヒー入れて連ドラ見てね、そういうのが健全だと思うなぁぼくは、そう思わない?思わないの?健全ですよ、健全。これが健全ってものじゃないですか。まぁそれで年1000万ぐらいもらえないかなっつって。あ、うそうそ。800ぐらいでもいいっすよ。なんかそういうところに勤めさせてくんないっすかね?うん。はい。まぁなんかもう33にもなるんでね、はい、そろそろいろいろ準備もしないといけない年じゃないっすか。のでまぁぼちぼちもらっておきたいなっていうのはねぇ。ありますよ。はい。どうすか。こういうかんじで今年どうにかいいかんじにしてもらえないでしょうか。たのんますよ。神様たのんますよほんまに。お賽銭も投げてるんすからね。これはもう元取らせていただかないと何のためにこんな寒空の下で並んだのかもわかんないじゃないすか。はい。ということで、ね、よしなにたのんますよ〜〜」と神様にお願いをする。この間も寒さは肌に刺さるわけで、やはり厚着をして臨む必要がある。初詣で初風邪を引くのは初バカである。しっかりとダウンジャケットを着こみ大きくなった手榴弾のような造形で臨まれたい。まぁ端的に言うと寒い。

 

寒い。 2016年が良い年になりますように。 寒い。