9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

ニップレスとビキニ、そして紐

夜、イベントなんかに行くと、あるいは露出度の多い女の子が踊り狂ったりしていることがあるけれども、それはたとえば水着着用でディスカウントといったイベントであればビキニ着用がいたり、さらにはニップレス姿で踊っていたりするようなものもあり、そういうのを見ると、いやぁ〜、いいもの見れたなっつって気分がホクホクするのだけれども、ここでなお言わなければならないのはニップレスの功罪である。

 

ここでいうニップレスというのはAmazonのリンクで参照するとつまりは

 

 こっちのタイプのアレではなく、

 

 

このようなものである。この例でいうと、先端の垂れ落ちたファサファサは動きに併せて躍動し、さらにはグルグルと回転させる大技も披露されがちである。

 

ニップレスというのは局所を隠すためのものであるけれども、その用途は観測範囲では大きく二つであり、たとえば水着やコスプレ衣装といった露出度の高い衣服を着用した際に、局所が見えてしまうのを防ぐものである。ズンチャカズンチャカと爆音が鳴り響くフロアで、音と酒に酔い悶えるように踊り狂うとその動きは大きく、あるいはその店舗は早く激しい。ふとした拍子で衣服がずれ局所が見えてしまうリスクがあるため、そのリスク回避としての貼付である。これは例えるなら制服の下にジャージやショートパンツを履くようなやつではないだろうか。それは恥じらいなのか、あるいは逆に恥じらいのなさなのか、そういった風情がある。松尾芭蕉がその様を見たら一句読むのかもしれない。最後の五がニップレスであり、真ん中の七は「ふと見える」的なことを入れ、その情景や心情、その時芭蕉は同感じたのかを描写するだろう。

 

これはさらにはボーダーである。自ら露出度の高い衣服を好んで着てるけれども貴様に見せるために着てるんじゃねーんだよ、と。こっち見んなし、と。くそっ、しかし踊り狂いたいとしても貴様のようなやつに局所が見えてしまうと生きていけない、とリスク回避としての貼付もまた考えられるだろう。つまりはこの用途は防ぐという用途である。

 

もうひとつの要素としては防ぐではなく、着用という用途である。もうビキニもなくニップレス一丁。あるいはバーレスクのショーであればしばしばニップレスでのダンスといったショーが繰り広げられるけれども、その際には衣装である。局所を覆うだけで全体を吊る、あるいは支えるようなものはない。つまりはすっぽんぽんとほぼ同様である。これは隠すためではなく、そういうものであるため、というかんじがする。

 

ここで問題となるのがエロみである。たとえばエロいという言葉があり、この解釈はいくつかあると考えられる。たとえばエロいとはセクシーであり美しいという解釈である。あるいは軽い、たとえるならビッチ的な、つまりはいけんちゃうか、という感情をもたらせるのもまたエロいという解釈につながるかもしれない。

 

ここで生じるのは先述のビキニとニップレス、どちらがエロいかという問題である。ビキニで全体を覆っている状態と、ニップレスを貼付して脱いでいる状態、どちらがエロいか。エロいというのは先述のように解釈が分かれるところである。そして露出面積の少ないニップレスの方がエロいというのももちろんあるだろう。

 

それでもなおビキニのほうがエロいと言わざるを得ない。それはなぜか。恥じらいである。恥じらいとは心理的障壁であり、つまりはガード、障壁の高さである。障壁が高いほうがエロいという説を唱えたいのであり、つまりは開墾。ゴールドラッシュ。そこにあるゴールドラッシュに向けて西部を開拓するのである。

 

ここで新たな仮説である。ここまで述べたうえで、ビキニの方がエロいという結論を置いた上での仮説である。ビキニとニップレスには共通点があるのは自明であり、それはつまりは覆っているところである。では逆に違う点はどこだろうか。

 

紐である。吊る、あるいは支える紐である。それがビキニ、あるいはエロみの本質である。虚と実である。ビキニの本質は覆っている部分ではなく紐にあるのではないだろうか。ビキニとは紐である。縦の紐は私であり横の紐はあなたである。

 

エロいというのは紐である。

 

紐である。

 

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