9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

『女子をこじらせて』雨宮まみ 感想:読んだ本

雨宮まみ著『女子をこじらせて』を読んだ。というのは、明日行こうかなと考えている読書会、この読書会というのはテーマを与えられてそのテーマに合う著書を紹介/おすすめしあうという読書会であって、明日のテーマが「こじらせ」だったから。

 

 

女子をこじらせて

女子をこじらせて

 

 

で、「こじらせ」って言葉ってのが2011年にこの『女子をこじらせて』が発売されて、「久保みねヒャダ こじらせナイト」ってなテレビ番組も放送されて、2013、2014年のユーキャンの新語流行語大賞にノミネートされて。明日のテーマが「こじらせ」なので、何かしら「こじらせ」に沿う本を選んで持ってかないとなぁ、ってところで、そもそも「こじらせ」がピンと来ていない。

 

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ボーナス

大なり小なりニュース、あるいは出来事というのはあり、それはポジティブなものだけではなくゼロサム、ネガティブなものもセットであって。たとえば6月といえばナスボー、いわゆるボーナスの時期であって、元が年俸制なので貯めてたものを引き出すようなものなので特段アレなんだけれどもいくらか残高が増えるというのはやはり好ましいなっつって、とはいえ控除額を見てくわぁとおでこを叩くのが年に二回のお約束である。

 

じゃあボーナスを何に使うよっつう話であって、今までのおれは気分が大きくなりここらで一発ボーナス倍プッシュだっつって競馬やパチンコに勤しみ無形のままに残高の数値が減り、あとは次のボーナスまで毎月の赤字を補填する生活をしていたけれども一念発起、乾坤一擲、今までのおれとは違うぜっつって、季節はすっかり梅雨だなっつって。

 

ではボーナスをどう使うか。彼を知り己を知れば百戦殆うからず。己を知る。ボーナスを自己分析に費やすぜっつって、つまりはアレルギー検査を行うのである。ミクロレベルの小さい話しである。器が小さい。

 

ってことで小学校の頃から花粉症に悩まされてたけれどもそういやアレルギー検査ってちゃんとしたことないな、プラス、なんか6月入っても鼻がやばい日があるぞっつって一度検査でもしてみるかと、ボーナスの大半であるところの四千円を費やし耳鼻咽喉科で血を抜いてもらい検査を行ったところ、今までスギ・ヒノキだけかと思ったらばスギが強、ヒノキが強に加えてイネとハンノキも出たのであって、つまりは2月から7月、半年近く花粉のリスクがあることが確定したのであって、その他は軽度のダニとハウスダストがあったけれども部屋掃除しときゃ大丈夫らしく。

 

ボーナスを費やした成果である。今年はもう終盤にさしかかるので大丈夫というのが見えたのであって来年の戦略を立てるべきであって、あるいは粘膜をレーザーで焼き切るか、舌下なんとかにするか、あるいは毎年と同じく薬漬けになるかは年明けごろに方針を決めるのであって、次のボーナスを費やすことができそうである。

 

タイトルに【PR】入れろ問題

yoppymodel.hatenablog.com

 

元の宮脇さんのフィードにコメントもしたけど盛り上がっているのでまずおれが考える結論からいうと、

  • タイトルに入れる必要はない
  • けど、どの接点から流入するかを考慮した上で明示が必要

の二点。   

 

タイトルに入れる必要はない

タイトルに入れる必要はない。ってのはタイトルってのはその飛び先がどういう内容かってのが第一で、日本語でいうと見る人は当然最初から読むわけで、その最初の4文字を【PR】で埋めるのはロスでしかない。

 

「【PR】って入ってないとPRかどうかわからんやんけ!騙すなし!」という意見があるので後述の「明示」の話になるんだけど、まず最初の4文字を埋めるかどうかって点に関しては、「PR記事なんて読みたくない、ギガが減るのし」って意見については、じゃあ見なかったらよいのでは、というところであって、見たくないために先頭の4文字を【PR】で削るのは、逆に、PR表記があってもなくてもどっちでもいい、どうでも良い人にとっては同様に邪魔でしかないので片方の意見だけに対応する必要はない。

 

タイトルの先頭4文字に入れたらクリック減るのか問題

そりゃ減るだろ。気にしない人にとっても邪魔なんだから。

 

lineblog.me

 

 

とはいえPRってことの明示について

前提

www.advertimes.com

 

「もはや」ってか最初から嫌われてる。むしろ好かれてたとか言うなら驕りでしかない。

本来広告というのは嫌われていて、その嫌われ方はユーザー体験の面とコンテンツの面で分けられる。ユーザー体験の面でいうと、たとえばリンク踏んだら全面を覆う形でクソみたいなバナーが出てきたり、わざわざスキップ押さないと目的のコンテンツに行けないものだったり、スマホスクロールしたらにょーんって下に張り付いてきて誤タップを誘うものであったり。

あるいはフィッシングでもこっそり右上のほうに「AD」とか付けつつ「DOWNLOAD HERE」みたいな文字のバナーとか騙すようなものがありふれているわけで。

 

コンテンツ面でいうとコタツで書いたような信憑性の無いものだったり、たとえば広告って売るために良いことしか書いてなかったり、褒めそやすかんじなんでしょ?っていう不信。元々広告は信用されてない。CMで「おいし〜〜〜〜い♪」って言っても信じてもらえない。良いことしか言わないんだから。

 

ってかんじで、これは今までのツケがまわってきてる。明確にバナーで分けられているものについてはまだ大丈夫だけど、いわゆるネイティブ広告、媒体に馴染む形で「PR」とだけついて踏んだら別サイトってパターンなんかもアレ。騙されたって感じられても仕方ない。

 

だからこそ、しっかり作り込まれた、有用であったりおもしろい記事広告は光る。企業からお金が出るからしっかり予算をつけることができて、おもしろい/有用なコンテンツが作成できる。ここ否定されるとどうしようもないんだけど、じゃあどこにもお金という概念が無い世界を生きろってかんじ。

 

明示について

メディア内ではPRであることの表記がされていて、たとえば一覧ページやトップのメインビジュアルなんかでも、PRの場合は【PR】であったり【Ad】であったりバナーについてたり、ここ踏んで「騙された」って思う人がいるなら、そういうものだって教えるしかなくて。

 

では、どの場合に明示が消えるかというと、SNSや検索に流れたときかな、と。

たとえば記事についてるtwitterボタンを押してツイートする際には、元々セットされている文言(テキストやらタイトルやら)、URL、ハッシュタグなんかをデフォルトでセットできて、ツイートされた際には、twitterカードっつって、タイトルと説明文、画像が表示される。 こうなったときに、現状PRってことが離れてしまうってところはあるいは問題かもね。

 

タイトルに入れていれば、デフォルトでセットされることになるので、PR入れろ派はそうしろってところだと思うんだけど、前述のように、どうでも良い派の感覚も見ると、別にここじゃなくてもいいのかな、と。

 

あるいはサムネ画像に「sponserd by ◯◯」って入れても成立はするかと思う。サードパーティーのアプリならtwitterカード出ないやつもあると思うけど、そこまでケアする必要はないかな。

 

まとめ

ってことで、メディアを離れた際の明示ってところで、タイトルの先頭4文字以外でどうケアできるかってところがポイントかなって思いますー。タイトルの後の方でもogp画像でもハッシュでも、そういったところで明示できればいいんじゃないすかね。

 

先日こんなことがあってねぇ……

「先日こんなことがあってねぇ……」から始まるのはたとえば普段の会話であったり落語のマクラであったり、何かしらのエピソードがあり、そのエピソードを導入として本題に移したりあるいはエピソードそのもので話しかける相手を笑かしたり喜ばせたり。



つまりはこの類の話をするためにはエピソードが不可欠。相手の心に響くエピソードが必要なのであって、ではそういったエピソードが存分に転がっているかというと微妙であって、何かしらあるかしらん、と思い返してみてもなかなか出てこない。先日のエピソードを探す。直近、先週、5月、4月、と順に思い返していく。

 

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今年もスターバックスの期間限定「ストロベリークリームフラペチーノ」季節が到来♪!!スタバに急げ!!

今日から全国のスタバで期間限定の「ストロベリークリームフラペチーノ」がやってきました♪ 待ちわびたぞ……!

 

ということで、お昼休みに、、、、

 

 

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職場近くのスターバックスにやってきました!善は急げ!フラペチーノはハリー!

 

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糖質よろしくカット with 健康的ライフ

夜に遊ぶ頻度が落ちた。

 

ここで言う遊ぶというのは、それはたとえば夜を徹するイベントなんかははるか昔から眠みが勝り足が遠のいているけれども、普通に夜、ごはんをたべたりお酒を飲んだりする時間に、ひとり飲みに行く頻度が減っているのであって、それに伴い朝が早くなったのか、あるいは朝早い生活に切り替えたから夜を遠ざけたのか、どちらの因果かはわからないけれども、かつては仕事終わりには週5ぐらいで一人で飲みに歩いていたけれども。

 

あるいは仕事を終える時間や本を読むことに起因することかもしれない。かつては22時23時ごろまで仕事をして、家に帰る前に一杯引っ掛けて、という生活をしていたけれども、今はほぼ定時に終えることを定めており、仕事を終えて19時、たとえば昨日は帰る道中に本を買ってベローチェでやっすいコーヒーを飲みながら読み進めて帰宅したのは22時ごろであって、そこから帰り際に買ったカット野菜と畜肉、フライパンで火を通してポン酢をまぶすことにより炒めof野菜を錬成したのであって、不足しがちな野菜、および肉に寄るタンパク質を摂取し、さらには糖質をカットした健康的ライフを営む。

 

夜に出歩かないということはつまりは人と接することが少なくなるのであって、人と接するというのはつまりはコミュニケーション、コミュニケーションというのはつまりは情報の共有、他愛も無いことから新しい情報まで、玉石混交のコミュニケーションの中には次の行動へのきっかけとなるものがある。そこが糖質よろしくカットされている。

 

つまりは行動がどん詰まりになっているのであって、あ、こりゃあかんな、と。かつて呼吸をするように帰り際にふらっと飲みに行ってたというのはつまりは意識もせずに行っていたのであって、じゃぁよっしゃ行くぞっつって行くのも欲張りすぎでありさじ加減が難しく、行動のきっかけは行動であって、つまりはきっかけが埋もれているのであって、春が終わって今、梅雨に入ろうとしていて。関東地域はまだ梅雨に入っていないけれども今日は曇り空で空気はひんやりと、閉まっておいたチャックが壊れたパーカーを引っ張り出して自転車に乗り込み恵比寿のPRONTOに至ったのが朝早いなうであって。