9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

先日こんなことがあってねぇ……

「先日こんなことがあってねぇ……」から始まるのはたとえば普段の会話であったり落語のマクラであったり、何かしらのエピソードがあり、そのエピソードを導入として本題に移したりあるいはエピソードそのもので話しかける相手を笑かしたり喜ばせたり。



つまりはこの類の話をするためにはエピソードが不可欠。相手の心に響くエピソードが必要なのであって、ではそういったエピソードが存分に転がっているかというと微妙であって、何かしらあるかしらん、と思い返してみてもなかなか出てこない。先日のエピソードを探す。直近、先週、5月、4月、と順に思い返していく。

 

 

あるいは自身の体験というのは自らを通すことによって些細なものを大げさに扱って大げさなものを過小に扱うフィルターがあるのかもしれない。たとえば他の人からしたらおもしろエピソードだったとしても、当人が普通扱いしていればエピソードとして繰り出されることもなく、先日こんなことがあってねぇ、と話題にならないのかもしれない。直近、先週、5月、4月、と順に思い返していく。

 

たとえば直近ではゴールデンウィークっつって大型の連休があったけれども、そこにあるいはエピソードはあるかもしれない。思い返してみる。有給休暇をぶちこみ9連休にしたので何かしらあるだろう。

 

たとえばここで、いついつリアル脱出ゲームに行った、上野動物園に行った、渋谷のカフェに取材に行って記事を書いた、麻雀大会で優勝した、スーパー銭湯に行った、と事実を列挙しても日記であり公開される読み物じゃないのは、そこにエピソードはなく、出来事の描写や心情の機微が必要なのであって、たとえば千原ジュニアのように「ぶわーっなって」や「ぐわーなって」、「えぇぇぇ〜〜〜〜思って」といった描写や心情の機微である。

 

それも自分だけの事実列挙ではなくて、対話する相手に対して「どう思います?」であったり、「やばいっしょ」といったような投げかける要素ができてエピソードであって、つまりはそういうことを意識するならあるいは些細なことでもエピソード化できるのかもしれない。

 

たとえばリアル脱出ゲームであれば、ネタバレは避けつつ先日「リアル脱出ゲームに行ってきたんだけれども、」から始めて、たとえば最初の謎が最後辺りに必要になってくるといったようなリアル脱出ゲームあるあるを並べるとあるいは共感を生むかもしれず、そのマクラとして先日こんなことがあってねぇ、がエピソードとして成立するのであって、あるいは上野動物園であればつらつらと園内の動物を眺めて歩くんだけど、当然他の来園者もいるわけで、それぞれの動物を眺めていると「かわいい」とか「大きい」とか声が聴こえてくる。その中で半分ぐらい「狭くてかわいそう」と聴こえるのは確実であって、アルマジロが同じところをちょこまかと往復しながらただ時を費やすのであって、他含めて動物を見に行きながらかわいそうという感想を抱くのはあるいはイデオロギーの話になりやっかいになるかもしれない。

 

話し上手、それはあるいは手法ではなくエピソードの見出し方のうまさであって、ひとつの行動に対してエピソードを見いだすのはやはり訓練が必要だと思われ、未来の「先日こんなことがあってねぇ」を拾う訓練を行う。先日の話をしよう。