9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

無駄遣いをやめる。

無駄遣いをやめる。

 

「余計な物などないよね」と歌ったASKA覚せい剤で捕まっちゃったけれども、この「余計な物などないよね」というのも注目に値する部分であり、それは確かに過去の経験や体験から今をどうするか、どうすれば最善なのかが浮かび上がるというのは常である。しかしその経験も、たとえばやらかしちゃった失敗を悔い省みてNEXT STEP、ネクストステップ、次に同じような場面に出くわした際には、あ、そういえばこんなことあったなってかんじで思い出すことにより注意を払い同じ失敗を繰り返さない点では過去の失敗も決して余計な物ではなくなる。完璧な成功談であり素晴らしい。がしかし、ここで大事なのは先の例では、あ、こんなことあったなということを思い出し、記憶の引き出しを開け、そこにある余計ものノートを読み替えし次はこうしようと思いだした上でそれを実践したときにはじめて余計なものではなく有意義なものに昇華するわけで、その引き出しをあけない、そもそも覚えてないとなると余計なものは余計なもののまま積み重なりつまりは余計なものは余計なものである、と思うわけで、しかしASKAが歌うこの「余計な物などないよね」というのはその後に「すべては君との僕との愛の構えさ」と繋がるので、なるほどすべてっつっても君と僕の間にある物の中に余計な物はないよねってこと。それはあんなことでケンカしたよねとかその後の歌詞に出てくる「嘘やワガママ」なんかもそれは二人にとっては余計なものなんかではないんだぜということで、君は確かに僕を愛しておりとてもほほえましい二人ですぐに死ねと思うわけですが、たとえば二番では「君に逢いたくて逢えなくて寂しい夜、星の屋根に守られて恋人の切なさを知った」と歌っている。ここで注視したいのは「星の屋根」であり、つまりはこの男性は屋根の無いところに住んでいると考えられる。残念ながら東京では星の屋根というほど星が見えないので、場所としてはおそらく片田舎に住んでおり夜には空に一面の星が広がるのであれば合点がいく。都会の喧騒、通勤電車、物で溢れかえり物価、家賃、お酒、ドラッグ、ロックンロール、それら全て余計なもので、そんなことに気を取られても消耗してしまうだけであり、それならいっそ何も無い田舎で暮らすという生活にしたのであろう。つまりは今回の「余計なもの」というのは決してエモーショナルなものではなくガチなかんじであり、屋根も「余計なもの」として排除されたのではないかという一抹の懸念が抱かれる。「余計なものなんかにはならないよね」ではなく、余計なものを排除した結果として「余計なものなどないよね」、と言っている。つまりはミニマリスト。「SAY YES」というのも文章としてミニマルすぎる。要素を可能なところまで排除し、非常に端的で良さがある。これが下手くそなものであれば、「you say yes to me」 とか、「はい、って言ってくれ」と半角7文字で収まるものも長くなってしまうところをバッツリと「SAY YES」、二単語でまとめており余計なものを排除している。これは大変よい心がけであり、見習う点も多々ある。つまりは余計なものを徹底的に排除しようと考えさせれるものである。これは身にしみる思いをもたらすものであり、自分の身の回りの余計なものは無いか、余計な事をしていないか探した結果、まぁいろいろ思い当たる節はあるけれども、その中でやはり真っ先に排除したいのはお金の無駄遣いであり、まぁ端的に言うと無駄遣いをやめる。

 

もう1段落SAY YESで引っ張ってもよいかしらん(君はただ「SAY YES」)。先述の「SAY YES」では「このままふたりで夢をそろえて何気なく暮らさないか」と提案している。これこそ余計なものを排除した極致であり、まず「このままふたりで」。集合の最小単位である。排除と考えた場合にはこれはもう君と僕以外は何も必要ない、それ以外は全て余計なものである、という考えとなる。確かにおれも予定の無い土日なんかにはだれとも合わず声を発しない日なんかもある。その延長で、君といっしょにいたいんだから一人ではなく集合として最小の二人だとしても、何も必要とせず過ごすことは可能であろう。Amazonがあれば衣食困らず、二人以外だれとも接点をつくらずに過ごせるし。その最小単位二人で「夢をそろえて」である。これもミニマルである。余計なものを排除している、というのはお互いがお互いそれぞれ別方向を向いた夢を持ちその方向に勤しむよりも、同じ夢で揃えて向くほうが効率よいよねという話である。ミニマルがゆえにどちらかの夢が方向修正を強制されるのでありそれを受け入れる二人である。まだどちらが夢の修正を強制するのかは明かされていないので救いはあるけれども。つまりは余計なものを排除するためにどちらかの夢を強制する。余計なものを排除することを徹底している。そして「何気なく暮らさないか」である。これはおそらく誤字である。「何もなく」の誤字なのではなかろうかと推測する。「気」と「も」ってちょっと似てるし。「何もなく暮らさないか」である。物なんかいらないよね、と。二人いれば最低限のものだけでいいよね、と。屋根も無くていいよね、と。二人いるんだから、と。それだけで十分でしょ、と。ミニマルである。それを裏付けるように「このまま二人で朝を迎えて」とある。なぜ朝を迎えるのか。電気が無く真っ暗だからである。電気を引いてないからである。電気が引かれてないような田舎に住んでいるということである。電気代も余計なものとして排除されているのである。星の光で十分でしょ、と。月明かりがあるでしょ、と。このミニマルっぷりは見習いたい。余計なものを排除し、必要なものは何か、それだけあればいいじゃない、と。余計なもので溢れている昨今、果たして本当に必要なものは何なのか、自分が必要としているものはなんなのか、というのをやはり考えさせられざるを得ない。いざ我が身に立ち返り考えると無駄遣いが過ぎるんじゃないかと反省してしまうのである。まぁ端的に言うと無駄遣いをやめる。

 

ではおれがしている無駄遣いとは何か考える。つまりはそれにお金使わんでもええんじゃないの、というものである。家計簿をつけようとiPhoneアプリZaimを駆使しようと思っては三日坊主で挫折すること十数度、手がかりになるのは何もないけれども、まぁなんかこれにお金使ってるなというのは簡単なぐらいにわかりやすく、家賃光熱費通信費用を除くと、ごはん、お酒、遊び、ギャンブルである。さてどれを省くことができるのか、どれが無駄遣いなのかを検証しよう。まずごはんである。たまに興が乗じたときに自炊なんかはするけれども基本昼夜外食である。果たしてこれは無駄かどうか。そんなこともなかろうと思われる。時間効率的にも栄養バランス的にもカットしないほうが得策なのは自明であり、バランス良い外食を食べるほうが心身ともに健全である。たとえば夜遅くまで仕事して家に帰って自炊となるとなかなかタフでありその分睡眠時間も削られる。帰り際に中華屋に寄って野菜や肉、味噌が入ったようなものを食べるほうが健全も健全ではなかろうか。つづいてお酒。これは次項の遊びとも深く結びつく。やんわり酔うというのは楽しいけれども、アル注ではないおれ、お酒の本質はアルコール分ではなくコミュニケーションや空間である。お酒をのみふんわりしたところでくだらない話しをしてゲラゲラ笑ったり、議論したり、会話相手のことを深く知ったり、空間に落ち着き心の安寧を得たり、ボリュームマックスの音楽に乗りゆらゆらと揺れて音楽と一体化したり、そういうものがお酒である。とすると、そりゃもちろん量の程度はあるけれども、べろべろに管巻いて人に迷惑かけたりなんかすると目もあてられないけれども、許容範囲内であればやはりこれも余計なものではないのではなかろうか。続いて遊びである。遊びというのは難しく、どこからどこまでが遊びとカウントされるのかも曖昧なところはあるけれども、次項のギャンブルを除く娯楽と考えると本を読んだりコーヒーを飲んだりデートをしたり映画を見たりゲームをしたりどこか牧場に出かけたりテルマー湯に行ったりというのも遊びの範疇でカウントしてよいかと思われる。本や映画は仕事にもつながりコーヒーは本を見るための必須アイテムでありデートはセックス、つまりは精神衛生を安定させるためには必要なものであり、どこかに出かけることもリフレッシュや知識の範囲を広げるなど全ては糧となり、冒頭の通りの余計なものなどないよね、となってしまう。やはり余計な物などないのかと思うけれどもおっといけないまだ最終項が残っている。ギャンブルである。自分で言うのも憚れるほどにこれこそ無駄遣いである。そんなことはわかっている。救いがないのである。序盤で「あ、こんなことあったなということを思い出し、記憶の引き出しを開け、そこにある余計ものノートを読み替えし次はこうしようと思いだした上でそれを実践したときにはじめて余計なものではなく有意義なものに昇華する」と書いている。ギャンブルにおいてはこれが通用せず無駄も無駄。余計なものすぎるのである。たとえば今日負けた、ちくしょうやってらんねぇパチンコはやめてやる、と息巻くけれども翌週、ひどいときには翌日、さらにひどい時には当日中に店舗を変えついついフラッと寄ってしまう辺りは中毒に近いものがあり目も当てられないのである。これを断ち切るには浮世から隔離される必要があるのではなかろうか。隔離とはすなわち東京を離れることである。やはり東京は誘惑が多すぎる。光るネオンに吸い寄せられるおれは蛾みたいなもんよ。そこで散財をしてしまう。無駄遣いである。無駄遣いにも程があるのである。端的に言うと無駄遣いをやめる。それはつまり東京を離れ、星がきれいな田舎に出て、星の光を頼りに屋根の無い家に住み、電気も引かず、夢を持ち、何気なく暮らすことである。まぁ端的に言うと無駄遣いをやめる。

 

無駄遣いをやめる。

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