9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

タイトルに【PR】入れろ問題

yoppymodel.hatenablog.com

 

元の宮脇さんのフィードにコメントもしたけど盛り上がっているのでまずおれが考える結論からいうと、

  • タイトルに入れる必要はない
  • けど、どの接点から流入するかを考慮した上で明示が必要

の二点。   

 

タイトルに入れる必要はない

タイトルに入れる必要はない。ってのはタイトルってのはその飛び先がどういう内容かってのが第一で、日本語でいうと見る人は当然最初から読むわけで、その最初の4文字を【PR】で埋めるのはロスでしかない。

 

「【PR】って入ってないとPRかどうかわからんやんけ!騙すなし!」という意見があるので後述の「明示」の話になるんだけど、まず最初の4文字を埋めるかどうかって点に関しては、「PR記事なんて読みたくない、ギガが減るのし」って意見については、じゃあ見なかったらよいのでは、というところであって、見たくないために先頭の4文字を【PR】で削るのは、逆に、PR表記があってもなくてもどっちでもいい、どうでも良い人にとっては同様に邪魔でしかないので片方の意見だけに対応する必要はない。

 

タイトルの先頭4文字に入れたらクリック減るのか問題

そりゃ減るだろ。気にしない人にとっても邪魔なんだから。

 

lineblog.me

 

 

とはいえPRってことの明示について

前提

www.advertimes.com

 

「もはや」ってか最初から嫌われてる。むしろ好かれてたとか言うなら驕りでしかない。

本来広告というのは嫌われていて、その嫌われ方はユーザー体験の面とコンテンツの面で分けられる。ユーザー体験の面でいうと、たとえばリンク踏んだら全面を覆う形でクソみたいなバナーが出てきたり、わざわざスキップ押さないと目的のコンテンツに行けないものだったり、スマホスクロールしたらにょーんって下に張り付いてきて誤タップを誘うものであったり。

あるいはフィッシングでもこっそり右上のほうに「AD」とか付けつつ「DOWNLOAD HERE」みたいな文字のバナーとか騙すようなものがありふれているわけで。

 

コンテンツ面でいうとコタツで書いたような信憑性の無いものだったり、たとえば広告って売るために良いことしか書いてなかったり、褒めそやすかんじなんでしょ?っていう不信。元々広告は信用されてない。CMで「おいし〜〜〜〜い♪」って言っても信じてもらえない。良いことしか言わないんだから。

 

ってかんじで、これは今までのツケがまわってきてる。明確にバナーで分けられているものについてはまだ大丈夫だけど、いわゆるネイティブ広告、媒体に馴染む形で「PR」とだけついて踏んだら別サイトってパターンなんかもアレ。騙されたって感じられても仕方ない。

 

だからこそ、しっかり作り込まれた、有用であったりおもしろい記事広告は光る。企業からお金が出るからしっかり予算をつけることができて、おもしろい/有用なコンテンツが作成できる。ここ否定されるとどうしようもないんだけど、じゃあどこにもお金という概念が無い世界を生きろってかんじ。

 

明示について

メディア内ではPRであることの表記がされていて、たとえば一覧ページやトップのメインビジュアルなんかでも、PRの場合は【PR】であったり【Ad】であったりバナーについてたり、ここ踏んで「騙された」って思う人がいるなら、そういうものだって教えるしかなくて。

 

では、どの場合に明示が消えるかというと、SNSや検索に流れたときかな、と。

たとえば記事についてるtwitterボタンを押してツイートする際には、元々セットされている文言(テキストやらタイトルやら)、URL、ハッシュタグなんかをデフォルトでセットできて、ツイートされた際には、twitterカードっつって、タイトルと説明文、画像が表示される。 こうなったときに、現状PRってことが離れてしまうってところはあるいは問題かもね。

 

タイトルに入れていれば、デフォルトでセットされることになるので、PR入れろ派はそうしろってところだと思うんだけど、前述のように、どうでも良い派の感覚も見ると、別にここじゃなくてもいいのかな、と。

 

あるいはサムネ画像に「sponserd by ◯◯」って入れても成立はするかと思う。サードパーティーのアプリならtwitterカード出ないやつもあると思うけど、そこまでケアする必要はないかな。

 

まとめ

ってことで、メディアを離れた際の明示ってところで、タイトルの先頭4文字以外でどうケアできるかってところがポイントかなって思いますー。タイトルの後の方でもogp画像でもハッシュでも、そういったところで明示できればいいんじゃないすかね。

 

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先日こんなことがあってねぇ……

「先日こんなことがあってねぇ……」から始まるのはたとえば普段の会話であったり落語のマクラであったり、何かしらのエピソードがあり、そのエピソードを導入として本題に移したりあるいはエピソードそのもので話しかける相手を笑かしたり喜ばせたり。



つまりはこの類の話をするためにはエピソードが不可欠。相手の心に響くエピソードが必要なのであって、ではそういったエピソードが存分に転がっているかというと微妙であって、何かしらあるかしらん、と思い返してみてもなかなか出てこない。先日のエピソードを探す。直近、先週、5月、4月、と順に思い返していく。

 

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今年もスターバックスの期間限定「ストロベリークリームフラペチーノ」季節が到来♪!!スタバに急げ!!

今日から全国のスタバで期間限定の「ストロベリークリームフラペチーノ」がやってきました♪ 待ちわびたぞ……!

 

ということで、お昼休みに、、、、

 

 

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職場近くのスターバックスにやってきました!善は急げ!フラペチーノはハリー!

 

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糖質よろしくカット with 健康的ライフ

夜に遊ぶ頻度が落ちた。

 

ここで言う遊ぶというのは、それはたとえば夜を徹するイベントなんかははるか昔から眠みが勝り足が遠のいているけれども、普通に夜、ごはんをたべたりお酒を飲んだりする時間に、ひとり飲みに行く頻度が減っているのであって、それに伴い朝が早くなったのか、あるいは朝早い生活に切り替えたから夜を遠ざけたのか、どちらの因果かはわからないけれども、かつては仕事終わりには週5ぐらいで一人で飲みに歩いていたけれども。

 

あるいは仕事を終える時間や本を読むことに起因することかもしれない。かつては22時23時ごろまで仕事をして、家に帰る前に一杯引っ掛けて、という生活をしていたけれども、今はほぼ定時に終えることを定めており、仕事を終えて19時、たとえば昨日は帰る道中に本を買ってベローチェでやっすいコーヒーを飲みながら読み進めて帰宅したのは22時ごろであって、そこから帰り際に買ったカット野菜と畜肉、フライパンで火を通してポン酢をまぶすことにより炒めof野菜を錬成したのであって、不足しがちな野菜、および肉に寄るタンパク質を摂取し、さらには糖質をカットした健康的ライフを営む。

 

夜に出歩かないということはつまりは人と接することが少なくなるのであって、人と接するというのはつまりはコミュニケーション、コミュニケーションというのはつまりは情報の共有、他愛も無いことから新しい情報まで、玉石混交のコミュニケーションの中には次の行動へのきっかけとなるものがある。そこが糖質よろしくカットされている。

 

つまりは行動がどん詰まりになっているのであって、あ、こりゃあかんな、と。かつて呼吸をするように帰り際にふらっと飲みに行ってたというのはつまりは意識もせずに行っていたのであって、じゃぁよっしゃ行くぞっつって行くのも欲張りすぎでありさじ加減が難しく、行動のきっかけは行動であって、つまりはきっかけが埋もれているのであって、春が終わって今、梅雨に入ろうとしていて。関東地域はまだ梅雨に入っていないけれども今日は曇り空で空気はひんやりと、閉まっておいたチャックが壊れたパーカーを引っ張り出して自転車に乗り込み恵比寿のPRONTOに至ったのが朝早いなうであって。

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大学生は読書する方が良いって話

たとえば、趣味は読書ですと言うとそれはサークルの自己紹介や履歴書の趣味/特技の欄を埋めるためのありふれたひとつかもしれないけれどもそれでもなお読書を勧めるものであって。

 

読書とひとことで言ってもその幅は広く、つまり読書というのは書籍を読むということなので書籍の多さが幅の広さを表すものであって、自己啓発本を読んでも読書、旅行記やエッセイを読んでも読書、小説を読んでも読書、小説の中にも歴史ものもあれば恋愛ものもあればミステリーもあればそれを総じて読書とまとめるのであるいはありふれたものになるかもしれない。

 

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美女と野獣、エマとワトソン

過日、週末は特に何もすることが無いからマジヒマだなっつって、映画でも見るかっつって。とはいえ見たいものを見たいし見たくないものは見たくないしわがままなおれ、何かしら見たい映画あるかなと、見たくさせてみろよオラァ!とiPhoneを取り出しインターネット、検索を駆使して近場たるところの新宿で上映中の活動写真をサーチ、『SING』『コナン』『美女と野獣』はまぁ見てもいいかなっつって。

 

 

たとえばそのどれも、少し経つとテレビで放映するだろうしレンタルビデオ屋さんにもDVDが並ぶだろうし、もっと早くamazon primeやらnetflixやらで配信されるかもしれないけれども、ではなぜ映画館で見るかというとその理由は音響にあり、迫力ある音響は映画館ならではというのは否定しがたく、たとえばお金をかけて住まいにホームシアターを導入、大画面スクリーンとスピーカーを設置すると迫力ある映画体験にはなるだろうけれどもそんなお金など無く、とはいえ導入したとしても迫力ある体験ではあるけれども、映画館のアレとはまた異なるだろう。つまりは映画館で映画を見るということは映画館で見る感じのアレが伴うものであって、その極みは音響であって、なかなかマネができるものでもないだろう。

 

 

つまりはやれIMAXやら4Dやらあるけれども、ドルビーアトモス版があればそれを見がちであって、音が立体的に感じられるので良さがあるのであって、じゃぁコナンを音響に注視して見るかっつったらそうでもないなってことで却下、っていうかコナン10年ぐらい見てないから進捗わからんなっつって。新キャラとか出てるのかしら。ってことで『SING』か『美女と野獣』のどっちかにするかっつって、上映時間を見たらば『SING』のほうは時期がもう過ぎたのか、朝9時代しかしてなくて早起きせんとあかんやんけ却下じゃボケとなる顛末を経て『美女と野獣』を見た。



エマ・ワトソンである。いや、この「エマ・ワトソンである」というのは、この映画にエマ・ワトソンが出てるよっていう情報を君に教えているわけではなくて、美女と野獣とはつまりはエマ・ワトソンである、ということ。終始エマ・ワトソンの映画であり、もうタイトルを『エマとワトソン』にしてもよいぐらいなのではないだろうか。盤石、鉄壁、難攻不落、横綱相撲、正々堂々、堅牢といったあらゆる類語を並べても足りないぐらいに最初から最後までエマ・ワトソンである。

 

 

つまりは見た結果最高におもしろいわけでありその余韻、終わった頃には主題歌たるところの『Beauty and the beast』の最初のところ、フンフンフンフンフーン、のところか最後のビューティーエンザビースのところをついつい口ずさんでしまう。ストーリーもわかりやすくエマ・ワトソンは美しく、清く正しくエマ・ワトソン。映画館で見ることをおすすめする。

 

 

何にでも理由や教訓を求めようとする人がいる。たとえば『美女と野獣』という映画を見たときに「やっぱ外見じゃなくて内面だよねッ☆」とかと間の抜けたことを言う者がいるけれども、野獣、すなわち王子はそもそも毎日パーティーをしてドドスコドドスコ遊んでいた超絶お金持ち王子であり、日々豪華絢爛な衣装を身にまといわがままなクズであって、なんだかんだあって魔女の怒りを買い野獣となるわけであってこの映画のどこに内面があるだろうか。そもそもタイトルにも美女って書いてるやんけ。その内面は誰の内面だよ、とツッコんでもどうせインスタに果物が溢れんばかりに盛られたスイーツの写真をアップすることに夢中で聞く耳を持たぬだろう。見てみろよ、エマ・ワトソンだぜ。絶世の美だぜ。

 

 

因果と理由は異なる物であって、何かしらこうあったから結果的にこうなったというのは全てにおいて存在するけれども、そこに意図や理由というのは必ずしも両立するものでもなく、つまりは「なんとなく」で良いのであって、実際に「なんとなく」で溢れかえっているのにそこに理由を見出そうとするのは無粋なものであって、「なんとなく」は「なんとなく」のまま消化したら良いのであって、なんとなくこれを書いている。

 

 

美女と野獣 オリジナル・サウンドトラック - デラックス・エディション-<英語版[2CD]>

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