9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

肉の気分だわ

たとえば金欠のあまり1日に1合のお米とひとさじのお味噌、少量の野菜を食べてその日その日を生きながらえているおれでも、あー今日なんか肉だわ、肉の気分だわ、もう肉しか受け付けない体だわ、となる日がある。

その気持ちはだいたい昼ごはんを食べ終えたあとに仕事をしているフリをしながらうとうとと眠ったりぼんやり起きたりする最中にふと降りてくることもあれば、朝イチ、もう寝て起きたタイミングからもう今日肉だわとなる日もある。

朝から肉の気分の日といっても、朝から焼き肉では慢性胃炎を患っている胃に大ダメージを与えることになるのは必然。朝はマツキヨで買いだめているカルビーのフルーツグラノーラと定めている。マグカップにさらさらと流し込んだ後にセブン-イレブンの牛乳を流し込みもっさもっさと食べる。栄養バランスもよくビタミンもタンパク質もカルシウムまで補う最高の朝食だ。となると、この肉の気分を満たすチャンスは昼か夜である。

 

 

ここでいう肉の気分というのが、決して鶏肉や魚ではなく豚もしくは牛というのは想像に容易いだろう。さらにいうと牛に比重が高まっている。さらにさらに言うと豚や牛であっても決してハンバーグのようなひき肉をこねくりまわしたものでもなく、生姜焼きのような薄い肉でもないというのも冴えた君ならわかってくれるだろう。つまり肉の気分というのは完全に焼き肉。焼き肉を食べたい気分だ。

マーケティングの世界では「ドリルを買う人が欲しいのはドリルじゃなくて穴である」という格言がある。焼き肉を食べたい気分なのか焼きたい気分なのか焼き肉に行ったという事実が欲しいのかはわからない。それでも焼き肉を食べたい気分だ。

テーブルに運ばれた肉。入店と同時に熱された網の上に肉を載せるとジュージューと音を立てる。網の上で肉は焼き肉に変化する。焼き肉はどこからが焼き肉か?という問いが頭をよぎる。今網の上に置きたての生肉は焼き肉か。否、まだ焼き肉ではない。

いい頃合いで裏返して両面を焼く。存分に様子を伺いながらひっくりかえし今まさに最高、焼き肉が焼き肉になったタイミング、肉が焼き肉という個性を得た瞬間、アイデンティティが宿ったその瞬間に網の上から取り出したれにつけて口に放り込む。口の中で滲みでて油とたれの味が重なりあい至福の時を得る。たまには焦げてしまって「うわっちゃ」とか言っちゃうこともあるけれどもそれもまた素敵なことさ。それにしても焼き肉を食べたい気分だ。

 

 

たしかに街中の焼肉屋さんではランチを出しているところもある。かくいうおれもごくたまにオフィス近くのトラジやキンタンなんかに行って焼肉ランチを食べることもある。しかしそれは会社がお金を出してくれる場合だ。おれが勤める会社では2ヶ月に1回かなんか、課とか職種で集まってお昼でも行ってきなさいよ、と一人あたま1100円まで支給してくれる。給料日前なんかには大変貴重でありがたい制度である。

焼肉ランチはだいたい1000〜1500円ぐらいなので数百円払うだけで焼き肉ランチにありつくことができる。メンバーもしくは幹事の意向が一致すればめでたく焼肉ランチとなるのである。

 

 

しかし、その支給が無いとなると話は別で、ひとりで食べるランチ。恵比寿であればどこに行っても800円900円1000円するランチではあるけれども1500円。その500円の差は大きい。お昼に1500円もするなんてなんたる贅沢。贅沢は敵であり、勝つまでは欲しがってはいけない。

パチンコを打ち湯水のように1000円札をサンドに吸い込ませていくけれども、この辺りの数百円に細かくなることがあるので完全に頭がおかしくなっている。本当は晩ごはんに贅沢するよりもお昼ごはんに贅沢をするほうが安くつくのは自明。しかしオフィスタイム、昼に贅沢というハードルが高い。つまりは肉は泣く泣く夜にシフトしてしまう。

 

 

さて、じゃあ夜に肉でも食うか、となったときに君はどうするだろう。あるいは友達に「焼き肉食いたくね?」とLINEを送ったり、あるいは肉会にアクセスし焼き肉ついでに合コンする下心を出し、あるいは同僚に焼き肉を食べたい旨をプレゼンするかもしれない。

焼き肉というのは一般的には複数人で食べるものとされている。複数人で網を囲み、それぞれに肉を焼き、「大根のキムチください」と言うと誰かが「いいね」と言う。「サンチュください」というと誰かが「いいね、巻こうぜ」と言う。そういうものである。焼き肉はいいねだ。

つまりは複数人で網を囲む前提がある以上一人で焼き肉を食べるのは一般ではなく、つまりは異端だ。一人で焼き肉を食べていると奇物を見るような目で見られ、石を投げられ、塩をまかれることもあるだろう。肉の気分になった日に誰もつかまらなかった場合には人は泣く泣く諦めるのである。

 

 

ここで救世主が現れる。それが神保町と歌舞伎町にある食肉センターである。神保町は昼に、歌舞伎町は夜に、それぞれ45分の食べ放題を1000円程度で提供してくれるのである。つまりは食べ放題ながら定食のような形で焼き肉を得ることができる。

カウンターではお一人様も多く怖いものは何もない。定食みたいなものだからね。歌舞伎町であれば23時スタートで日に30人までという制限がある。つまり食肉センターに行くと一人で安く焼き肉を食べられる。完全に焼き肉気分なおれ、いざ肉を食ってやると意気揚々と歌舞伎町へ向かう。

 

 

落とし穴というのはどこにでもある。この落とし穴というのは何も物理的な穴を掘っているわけではなくあくまでメタファーだ。何かというと新宿食肉センター、23時スタートのため終電前に駆け込む人もいる。開始時刻である23時前後ではだいたい並んでいる。つまりは終電に間に合うようにするためにはあらかじめ22時代から並ぶ必要がある。

ラーメン屋でもディズニーでも日本は並ぶところが多くその忍耐力はすさまじいものがある。なぜこうも待てるのか不思議で仕方ない。スタート時刻に並ぶのもできないおれ、45分1セットの2順目を狙いバーでお酒でも飲んで時間を潰す。狙うは2順目か3順目だ。

すぐ近くのバーでまったりとした時間を過ごす。外は冬の冷たい風が吹く。こんな中で並ぶなんて愚の極みだぜ?とかなんとか言いながら余裕綽々にビールを飲みタバコをふかす。あとすこしもすれば焼き肉だ。

 

さてそろそろ肉でも食べようかしらん、とバーを出たのはもう3順目も過ぎた頃だろう。バーを出て食肉センターへ向かう。お酒も入ってるのでちゃちゃっと焼いてちゃちゃっと食べてちゃちゃっと帰ろうという気分。鼻歌を鳴らしながら店の前に行く。

 

絶望という気分を味わう機会というのはたまにあるだろう。それはたとえば目の前で電車のドアが閉まったり、iPhoneを道路に落とした場合なんかもそうだろう。しかし今日の絶望はまた別格。落とし穴は深い。食肉センターではまだ客が並んでいるわけであってこりゃ次の巡にも入り込めんな、と。新宿は眠らない街である。夜が深くなったところで人は活動しておりそれが焼き肉に集中してもおかしくはない。頭の中を絶望がよぎる。選択肢としてはこの寒空の下次の巡を待つか諦めるか。待つか諦めるか。焼き肉を食べたいという気分を叶えるか抑えこむか。思考する。焼き肉のジュージューとしたそのシズルを思い浮かべる。網の上で肉は焼き肉に変化する。焼き肉はどこからが焼き肉か?という問いが頭をよぎる。今網の上に置きたての生肉は焼き肉か。否、まだ焼き肉ではない。いい頃合いで裏返して両面を焼く。存分に様子を伺いながらひっくりかえし今まさに最高、焼き肉が焼き肉になったタイミング、肉が焼き肉という個性を得た瞬間、アイデンティティが宿ったその瞬間に網の上から取り出したれにつけて口に放り込む。口の中で滲みでて油とたれの味が重なりあい至福の時を得る。その至福をつかむことを叶えるか亡き者にするか。思考する。判断する。頭のなかで思考が彷徨う。めくるめく。新宿は賑わっている。歌舞伎町は賑わっている。キャバクラの前には誕生日の花のスタンドが並んでいる。お見送り出たキャバ嬢がひとしきり見送ったあとに寒い寒いと店の中に帰っていく。キャッチがよっぱらいに声をかける。たちんぼが声をかける。所在なき女の子がふらふらと歩いている。ぼったくりとぼったくられがもめている。警察官も困り顔だ。歌舞伎町の夜はこれからだ。冬の寒空の下、冷たい風が吹いた。