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『女子をこじらせて』雨宮まみ 感想:読んだ本

雨宮まみ著『女子をこじらせて』を読んだ。というのは、明日行こうかなと考えている読書会、この読書会というのはテーマを与えられてそのテーマに合う著書を紹介/おすすめしあうという読書会であって、明日のテーマが「こじらせ」だったから。

 

 

女子をこじらせて

女子をこじらせて

 

 

で、「こじらせ」って言葉ってのが2011年にこの『女子をこじらせて』が発売されて、「久保みねヒャダ こじらせナイト」ってなテレビ番組も放送されて、2013、2014年のユーキャンの新語流行語大賞にノミネートされて。明日のテーマが「こじらせ」なので、何かしら「こじらせ」に沿う本を選んで持ってかないとなぁ、ってところで、そもそも「こじらせ」がピンと来ていない。

 

 

ググったりして「自分の女子力に自信がなく女子的魅力をアピールできない人」的な定義とかが出てくるんだけれども、それだけ読んでふむふむそういうアレねってのもちょっとしっくり来ない。というのは「こじらせる」ってのが辞書的な意味だと例文として使われるのが「風邪をこじらせる」ってのが一般的かと思うんだけれども、辞書でもそのまま「病気を治しそこねて長引かせる」って書いてるわけで、共通する目的語を省くとつまりは「治しそこねて長引かせる」ってことであって、それを「自分の女子力に自信がなく女子的魅力をアピールできない人」と合わせると状態ってかその長引かせる経緯というか、何を持って長引かせるのかってのがぼんやりしてるとアレだなぁっつって、原著というか、発端となった本書を読もうっつって読んだ。

 

ってことで、

  • 第一章 女子をこじらせて
  • 第二章 セックスをこじらせて
  • 第三章 私をこじらせて

の三章で書かれた自伝であって、どうこじらせて来たのかが書かれているのであって。

 

で、読んだ所感というか、思ったのは本書は一二章が経緯で三章の「私をこじらせて」が本筋かなってかんじで、同じように苦しんでる人がいるから言葉が広がったかんじがするんだけど、雨宮まみの「こじらせ」については三章のタイトル、「私をこじらせて」の通り、雨宮まみ雨宮まみをどうこじらせているのかであって、一般化して「こじらせ」で消化するには苦しみというか、社会や風潮、飛び込んだ世界によるところが大きいので、「こじらせ」と一般化するにはあまりにも個の苦しみがあるなっつって。

 

三章の最後は同じく苦しむ人にとっての光となるようなことが書かれていて、それに救われた人もいるだろうし、もちろん人それぞれで経緯やストーリーが異なるので全く同じ状況ってのはいないだろうけれども。昨年、雨宮まみが亡くなったことで話がガラッと変わった気がしてしまって。あるいは「こじらせ」た雨宮まみさんが、どのように50,60になっていくのか見たかった。遅いけれどもご冥福をお祈りする。

 

「こじらせ」ってのは定義ができないかんじがしていて、というのは連続している現在進行形のことであって、それぞれの経緯やストーリーも含めた状態の連続を表すかんじがするので、これがこうってのがなかなか難しいかんじがする。

 

で、明日の読書会で何を持ってくかなっつって困ったな、と。あるいはこじらせた人が書いたものか、こじらせている人の救いになるような本か。 間違ってて怒られるかもしれないけれども、鈴木いづみの本を持っていこうかな。

 

 

鈴木いづみコレクション〈1〉 長編小説 ハートに火をつけて! だれが消す

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