雨降りの桜の木の下で
桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる、と言ったのは梶井基次郎であって、つまりは美しい桜を見てなぜこうも美しいのかと不安になる。この美しさには均衡を取るものがあるはずであって、その下にはどろどろとした死があることで均衡を取れる、そう思うことで主人公自身が心の均衡が取れる、そう思うことで神秘から自由になった今なら、彼らと同じように桜の下でお酒を飲めそうだ、というものであって。
桜の季節。退廃的な考えにならないとバランスが取れないぐらいに桜は美しく、たとえば大きな公園では壮大な景色が開くけれども、一本しかない小さい公園でも桜は変わらず、ここから一週間、満開になって、桜吹雪を起こして、散り散りになって、葉桜になって。
花見というと先週の土曜日に井の頭公園に行った。Numeriのpatoさんが主催する花見であって、場所取りのお手伝いってことで始発に乗り井の頭公園。
雨。
昼前には止むと予報されていた雨降り天気の中で、辺りが白んでもその雨は止まない。
寒さのあまりユニクロでヒートテックを購買。雨は止んだと言い聞かせてシート、お酒、食料を広げる。集まり始めたところで朝起きと寒さ、あるいは悪魔の飲み物たるストロングゼロの影響か、早々にダウンして寝ていたところをYAZAWA、いわゆる矢沢永吉の真似をしてイェイイェィ歌っていた人に起こされた地獄。通りすがりのロシア人もまぎれこみ地獄の花見はさらに地獄になる。
桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。桜の美しさには均衡を取るものがあるはずであって、その地中にはどろどろとした死があることで均衡を取れる。実際には地中ではなく桜の直下、地上に地獄が繰り広げられていた。ウイスキーを瓶で一気して潰れるロシア人あり、歌うYAZAWAあり、救急車で運ばれる者あり、桜の裏側に死が潜んでいて均衡を取るのではなく、桜の木の下、表層に地獄が繰り広げられ、その地獄は桜と共存している。
満開の桜の木の下で、桜吹雪が舞う中で、緑に輝く葉桜の下で、雨降りの桜の木の下で地獄は広がるのであって、今こそ俺は、梶井基次郎を引用して〆るなら、"あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。"
完全に調子がアレだったので抜け出して銭湯に入るもどうにも快復せずに無念。救急車で運ばれる人を見逃して無念。また来年、始発に乗って花見に向かうだろう。あるいは雨だけはご勘弁。