9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

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『金色機械』恒川光太郎 感想:読んだ本

S級である。何がS級かというと面白さがS級である。では何の面白さがS級であるかというと表題の恒川光太郎著、『金色機械』である。

 

 

金色機械 (文春文庫)

金色機械 (文春文庫)

 

 

 

時代小説はあまり読まないのであって、ふっと思い返すと山田風太郎の『甲賀忍法帖』は読んだなぁとか、町田康の『パンク侍、切られて候』とかも時代小説かぁ、とか出てくるぐらいで、不勉強なことに恐縮するしかないのだけれども司馬遼太郎とかは読んでない。

 

ちょうど例に出した『甲賀忍法帖』は漫画バジリスクの原作なんだけれども、忍術の話であって、つまりはファンタジー小説かつ忍術バトル。読む我々からすると時代の乖離がある上にファンタジーが掛け合わされていて激おもしろい。はたまた『パンク侍、切られて候』にいたっては、時代小説なんだけれども、そのところどころに現代の描写、当時の状況に現代の表現を掛け合わせるようなところがあって、そのズレもおもしろく最後はファンタジーに落ちる素敵な話で大変おもしろい。

 

たとえばニコール・キッドマンユアン・マクレガーの映画『ムーラン・ルージュ』なんかも時代背景は1899年で昔の設定だけれども、その劇内で出てくる曲はビートルズやマドンナ、ホイットニー・ヒューストンU2といった現代のもので、それが絶妙に混じり合っておもしろくなるのであって、あるいはそれは、時代の設定が昔で、その状況に不慣れな我々に現代の曲を掛け合わせることで不安を解消しているのかもしれない。

 

つまりは時代を超えるというファンタジー要素は何も現代基準である必要はなくて、過去設定から時代を超えるファンタジーでもそのズレが絶妙で面白くなる。

 

さて、S級。本作『金色機械』である。初版は2013年で文庫化されている。

背表紙。

 

ときは江戸。ある大遊郭の創業者・熊悟郎は、人が抱く殺意の有無を見抜くことができた。あるひ熊悟郎は手で触れるだけで生物を殺せるという女性・遥香と出会う。謎の存在「金色様」に導かれてやってきたという遥香が熊悟郎に願ったこととは──? 壮大なスケールで人間の善悪を等、著者新境地の江戸ファンタジー

 

ということで大きく登場人物は熊悟郎と遥香の二人。そしてその傍らに現れる「金色様」という謎の存在。それぞれの幼年時代や生い立ちを経て、どのような因縁があり、二人が交わりその後、という進行だけれども、その構成は時代を前後して読み進めながらもめちゃくちゃおもしろい。

 

やはりおもしろい小説というのは読む最中でもめちゃくちゃおもしろいのであって、たとえば「大どんでん返しが〜〜〜〜」といったところが売りの小説であってもその中が退屈であれば読み進めるのは苦痛である。つまりは本作はめちゃくちゃおもしろいのであって、それぞれが今まで歩んできた道、そしてその能力、心情、事件、ストーリーが絡み合いながら進んでいく。

 

さらには先述の時代の超越である。昔、あるいは江戸と現代を掛け合わせる。時代の乖離を混ぜ合わせることで絶妙な面白さが出て来る。それをさらに乗り越える。我々から見た未来と江戸を掛け合わせる。つまり本作はSFである。ファンタジーを越えてサイエンス・フィクションとなっている。江戸SF。

 

時代を越えたファンタジーを繰り広げられ、その中で起こる出来事や人たちの心の機微、非現実に非現実が掛け合わせられた本作は間違いなくS級。読めし。