9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

ジャーナリズム・イノベーション・アワード2017に行ってきた話。あるいは「報道」と「情報」と「ジャーナリズム」と。

昨日の土曜日は特にやることもなくヒマこいて新宿に出てたところ、twitterで「ジャーナリズムアワード」というのが開催されてるっつって、市ヶ谷の法政大学でやってて近いし知ってる人もちらちらいるし、「市ヶ谷 ラーメン」で検索したところ、ミシュランにも掲載されたというらぁ麺フロマージュってのが美味しそうだなぁってことで、らぁ麺フロマージュを食べるついでに「ジャーナリズムアワード」に遊びに行こうっつって総武線に乗り込んで市ヶ谷に。

 

 

 

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で、会場着。会場はこんなかんじ。

 

 

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こういうことしてます/しました、とか取り組んでますとか出展者が展示していて、報道の媒体だったり情報の媒体だったり活動を報告をしていた。

 

 

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WELQにぶち込んでいった朽木くんや、

 

 

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PCデポにぶち込んでいったヨッピーさんがいて。

 

で、参加者はそれぞれ話を聞いたり見たりして、受付でもらうシールを良かった出展者に投票する。投票の上位6人で決勝プレゼンをして優勝を決めるとかそういう流れ。

 

で、朽木くんに投票した。というのは、WELQ問題ってのは医療行為の話で命に関わる情報であって、間違えたらアウツな範囲の情報。誰でも情報を探す時代にその情報ってのがちゃんとしたものなのか、ってのが疑問視されて、あれは何もWELQだけの話じゃなくてインターネット全体の話よね、見る側のインターネットの扱い方に関する話題にもなるので、見る側の情報との距離感と、メディアもちゃんとしようぜっていう話しにもなったかなってところで意義はでかい。で、ちゃんとしようぜっつってBuzzFeedとかいろんなところはがんばってたりするけど。

 

まぁ他にも記事の作り方に問題があって、DeNAの他メディア巻き込んで大炎上したうえで焼け跡になったけど。DeNAがその焼け跡に種撒いたとかいう話が聴こえるけどさてどうなることやら。

 

で、あるいはヨッピーさんのやつもPCデポにかぎらず、あるいは商品やサービスを出す側がちゃんとしようぜって話になるわけで、やっぱり情報であって、出す側も見る側もちゃんとした情報を扱ってコンセンサス取らないとねって話。

 

市ヶ谷に行った目的はらぁ麺フロマージュなので、決勝プレゼンまで見ることなく会場を後にして食べておいしかったんだけど、まぁ不勉強なのでジャーナリズムという言葉の意味もぼんやりとなんか報道する人や機関のことなのかなっつって、改めて調べてみると

 

パンフレット,新聞,雑誌,ラジオ,映画,テレビ,書物等によるニュース,論評,特集の取材・製作・供給などの諸活動。ジャーナリズムという用語は元来,特に新聞などの印刷物による最新の出来事の報道に用いられたが,20世紀のラジオとテレビの出現に伴って,最新の出来事を扱う活字・電子コミュニケーション全般を含むようになった。

 コトバンクジャーナリズム

 

とあって、ほなジャーナリストはというと、

 

ジャーナリズムに関係をもつ人。新聞・雑誌などの編集者・記者など。

 コトバンクジャーナリスト

 

ということで前者ジャーナリストはもうマスや書物以外にもインターネットってのは大きなくくりでジャーナリズム媒体なのでまとめると「媒体問わずニュース,論評,特集の取材・製作・供給などの諸活動」ってことですな。

 

ではここでニュース、論評、特集ってのはなんぞって話になって、たとえばニュースなんかは「うちの娘が1歳になりました〜〜!」は当人的にはニュースであって、それを誰かに伝えたい、ブログあるいはtwitterなんかでもインターネットに載せるとジャーナリズムの定義にはまるのであって、いやいや、んなもんジャーナリズムでもなんでも無いっしょ、と言われるとちょい飛躍して、たとえばなんとか新聞が紙面に「◯◯さん家の△△ちゃんが1歳に」って見出しと本文つけたらそれは前者は違って後者はジャーナリズムなのかとなって、インターネットで誰でも情報を発信する時代になってジャーナリズムの線引きが必用なのか、あるいは上位だけがふるいにかかってジャーナリズムっていう冠をつけられるのか。情報なのか報道なのか、その二つに違いはあるのかってところはどうなんだろう。

 

つまりは見る人に価値がある内容じゃないといけないんだろねぇってことで、なんとなくのイメージでは社会問題とか正義がジャーナリストの仕事なのかなっつって、それはその情報を必用とする、あるいは解決されたときに影響するの母数の大きさはやっぱ大きいかなっつって。とはいえ情報ってのは誰か一人にとってしか役に立たないようであっても価値はあるので(他大多数が不利益にならないようなものであれば)、発信側も誠実にどんどんやってけばいいんじゃないかな。

 

で、ジャーナリストの仕事は取材なりで情報を集めて報道することによって、こういうものがあります、っていう情報を伝えることなのか、あるいは社会問題であれば問題を提起することなのか、その解決を図るものなのか、ってところでもやっとしたけれども、情報ってのは見る人のためのものであって、誰かのためになるような情報を誠実に集めて伝えてジャーナリズムに、それはいわゆるジャーナリストじゃなくてもいいんじゃないかしら。