9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

ダイバーシティアゲンストジアディクション

家にじっとしているのが無理問題というのを抱えており、それはたとえば普段、東京、土日なんかであっても、家で録画しておいたやつを見たり映画を見たりというのはえいやぁ!と気合を入れてする臨む必要がある。それは何も家が心地悪いからではなくソファーもありテーブルもありその対面にテレビもありダラダラすることができる環境ではあるはずだけれども、それでもなおじっとしているのが無理というのはつまりは時間の経過にその因がある。

 

 

 

ダラダラとテレビやインターネットをして過ごすその時間に我慢ならず、タバコを吸ってもタバコを吸っていないような苦しさが胸をしめつけるのであり、これはもはや出かけ中毒みたいな状態になってしまっているのではないだろうか。時間がただただ過ぎることに対して忍耐ができなくなってしまっている。

 

 

じゃあどこか出かけようかしらんとなるのだけれども、電車に乗ってどこか遠くに行くのもめんどっちいなっつって、行くのはいいけど帰るのめんどいなっつって。家から出たいけどすぐに帰れる位置にいたいというのは果たして矛盾になるのかもしれないけれども。そして自転車を跨ぎ5分程こいで新宿辺りでフラフラするというのが土日である。そしてその結果コーヒーを飲みながら本を読んだり記事を書いたりクソブログを書いたり。あるいはパチンコ屋に飛び込んでいったり。

 

 

パチンコやスロットに興じない人にはわからないだろうけれども、なぜ人がパチンコをするかというと、それはもちろん勝ちたい、勝ってお金を増やしたい、というのはあるのだけれども、それは一端に過ぎない。たぶん。その本質は時間である。ヒマだからである。あるいはヒマを潰すものが無いから立ち寄るのである。やることが無いからパチンコをするのであり、他に趣味などができれば時間がそっちに割かれる。

 

 

しかし他に趣味ができたとはいえ、そう簡単なものではなく、ここがあるいはギャンブル中毒なんていう言葉に入ってくる領域なんだけれども、新しくできた趣味、たとえば本を読むとしよう。その際には本とパチンコで天秤がかかるのである。特に予定が無い日曜日、さて家にいるのもあれだし出かけよう。さて新宿に出てきた。さて本でも読むか。ここで「そういえば本はいつでも読めるな」となるのである。そしてフラッと入ってしまうのである。あるいはカフェに入って本を読む。その時間はよいところでカフェをハシゴして4,5時間だろう。12時から17時まで本を読んだ。家に帰るっつってもまだ早いな。じゃぁパチンコでもしようかしらん。

 

 

つまりは時間である。時間の隙間を与えてはいけない。時間の隙間はこころの隙間である。ということでパチンコやスロットを断つためには時間の隙間をつくらないことである。

 

 

ひとつには趣味を増やすことであり、それも一つではなく外でするような趣味をいくつも入れる。これを念頭に入れれば断てる。たぶん。しかしこれにはタイムスケジュールをパンパンに埋めることが必要である。昼間に出かけて本を2時間読んで2時間でブログを書いてスーパー銭湯で4時間過ごしてラーメン食べてバーに行って一杯飲んでしかし金がかかるなぁっつって。コスパの良い時間の埋め方が必要とされる。

 

 

話は変わって世界は新年を迎える。僕にも君にも時間は等しく訪れ新年を迎える。ハッピーニューイヤー。

 

 

新年は実家で過ごすのであり、そこでもこの家にじっとしているのが無理となる。たとえば東京であればフラッと新宿に出られるけれども大阪の場末であり、唯一あった娯楽施設であるマンガ喫茶は2年ほど前に潰れてしまっておりおでこを打つ。ではたとえばその次に近いマンガ喫茶でも行って時間を潰すかとなると必要なのは交通手段であり、一人マンガ喫茶に行くために車を出すのもめんどっちぃなとなるので、これはたぶん東京に住まいチャリで新宿に行く環境であるからさらにそうなるのであって、電車に乗るのも車を出すのもちょっと、となる。

 

 

ではチャリや原付きがあれば便利だけれども実家におれのチャリや原付きはなく、必然的に徒歩圏内でいけるところが望まれる。じゃあ徒歩圏内に何があるかというとマンガ喫茶が無い今、飲み屋かパチ屋しかないのが致命的であり、それを除外するとマクドナルドやガストといった飲食店しかない。そしてガストに来てコトラーマーケティング・マネジメントを読むかっつって今。

 

 

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忍耐である。2017年はあらゆる中毒に対する忍耐である。あるいは中毒に対すべきものは忍耐ではなく選択肢かもしれない。選択肢の多さが自由であり、ひとつに縛られない開放である。ダイバーシティである。そしてお台場ダイバーシティは遠いから、新宿、あるいは実家近辺で選択肢を広げられればよいのである。