9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

ジャパンカップ2016レース回顧

一気に寒くなった東京。食欲の秋やスポーツの秋、読書の秋という。これはつまりは定まることがない、軸がなくブレブレであり、各々、つまりは君や僕が都合よくその秋という季節、あるいは秋という言葉を利用することであり、つまりは言い訳、口実である。秋を口実に好きなことをする、あるいはしない。その不安定な秋という季節はいきなりの雪とともに冬となった。山を染める紅葉も落ち葉となる頃、東京競馬場ジャパンカップを見に行った。その回顧。

 

 

先に結論から書こうか。ビジネスシーンでは結論を先に言うと良しとされている。プレゼンテーションなんかでもそうだ。先に結論、あるいはこうしたら良いのでは無いかしらん、というのを先に言う。そしてその結論に沿って、なぜそのようにするのがよいのかしらん、貴社が抱えている課題や背景および要望に加えて現状分析、同業他社の事例やコンテンツの提案をもって結論を補強する。つまりは時間は限られているのであり、結論を最後にするとそこに至るまでの道程に緩急は弱まりマンネリ、倦怠が伴うリスクがあり、みな忙しいのである。あるいは忙しいフリをしているのか、忙しい自分をかっこいいと思っているのである。おれだっていっそがしいんだよね〜〜、と言いたいのである。なぜか。それが「仕事ができる」に置き換えられるという錯覚があるいは起こっているからだ。仕事ができる。テキパキと仕事をこなす。時間管理や進行管理をしっかりと行い、余裕を持ってエレガントに進行する。そうするとこれもお願い、と他の仕事が振られるのであり、その結果キャパオーバーを引き起こしているのであり、いっそがしいんだよね〜〜っつって、となるのである。キャパオーバーによる残業や休日出勤が重なり体も心も疲弊するのであり、このマネジメントミスを仕事ができるに置き換えるぐらいにめでてぇなぁとなるのであるけれども、つまりはその忙しさというのは時間の制約であり、結論を先に伸ばすと先述のようなマンネリあるいはいつ終わるのかというゴールが不明瞭となる。そうすると仕事ができるビジネスパーソンはイライラ、なんつーかさぁ、先に結論言ってくんないかなぁ〜〜〜、僕だってヒマじゃないんだよねぇ〜〜、となるのである。ということはやはり結論というのは先に言うことが良しとされるのであり、今回の結論を言うと、馬券は外した。一着のキタサンブラックを切ったからである。

 

 

「強すぎる……!」と感じることは今までの人生で何度あっただろう。つまりはそれは完全なるギブアップ、降伏、屈服、放棄でありもうやんなっちゃうな、という場面である。諸説あるがたとえば犬、マルチーズコーギーなどのかわいらしい犬。クンクンとなついてもうやんなっちゃうなというぐらいかわいらしい犬、犬が仰向けとなりそのお腹を見せたときは、その対象に対する絶対的な服従を意味しているという。その仕草すらかわいいのでもうこっちが服従となるのもまたやんなっちゃう話である。話は変わって人類、人は大いなる力を目の前にするとその圧倒的な力にひれ伏しあるい屈服し、あるいは原始、太古の人々は神と崇めたのだろう。そしてキタサンブラックは強すぎた。君や僕が思っていた以上に強すぎた。

 

 

当日の朝に話を戻そう。今回も例によってヌートンに書いたように第ゼロレースからの参戦である。当日の天気が雨予報ということもあり、前日前々日から時間予報とにらめっこしてどの席を陣取るのがよいのか仲間内で協議。刻々と変化するその天気予報にあるいは絶望であったりあるいは天気は保つのではないかという希望であったり、絶望と希望は常に隣り合わせ。大丈夫っしょ。まぁ大丈夫じゃね?ってか大丈夫っしょ、というまぁ大丈夫っしょの精神でいつもと同じ小さい方のターフビジョン前を陣取ることに成功。第1レースから馬券を買いはじめて第2レースを取るもその他はスッテンテン。天皇賞のときと同じような流れである。つまりはひとつの具体的事例から全体を一般化すると天皇賞と同じようにメインレースでぴったりと当てる流れである。最後に笑うだろう。

 

 

ここで第1レースから見る意味について。それぞれのレースで競馬新聞とにらめっこしてこれこれこういう馬券を買おう、その馬券が当たった外れたというのはもちろんあるけれども、もう一点重要な一面もある。馬場、これは何も高田馬場を端折って馬場と呼ぶのではなく、文字通りの馬場である。競馬というのは芝あるいはダートコースでレースが開催されるのであり、メインレースは芝である。競馬場というのは一年を通して1ヶ月単位で開催したり開催しなかったりであり、たとえば東京競馬場でいうと10月、11月で年内の開催を終え、来年2月までお休みである。つまりは10月11月の間に100レース以上も行われる。芝は荒れてぼろぼろになり、さらには雨である。濡れたところを馬がパカパカと走ることによりさらに馬場は荒れるのである。コース内側は荒れ果てる。つまりはお馬さんからすると走りにくくなっているのである。

 

 

案の定第1レースから馬達は内側を避ける。外からの差し馬が足を伸ばす例が多く見える。なるほどね、とここでしたり顔である。こりゃキタサン来ないな、と。マークもされるだろう、東京の長い直線を逃げ切るのは難しかろう、と。外から足を伸ばす差し馬が一気に捕まえるだろう、と。そうするとサウンズオーブアースとゴールドアクターが足を伸ばしてくるだろう、と。これは希望である。あくまで希望である。人は希望無しでは生きられないのである。

 

 

メインレース。陣取ったターフビジョン前はスタート地点である。スタート地点前、ファンファーレで盛り上がる。がんばれよ、とか、頼むぞ、とか声援が聴こえる。希望である。希望を託すのである。いい夢見させてくれよ、と。そしてキタサンブラックはおれの希望を希望をあっさりと打ち壊す。逃げ切る。希望が絶望に変わる瞬間である。絶望と希望は常に隣り合わせ。大丈夫っしょ。それは誰かの希望が叶ったのだから。

 

 

今回のレースはキタサンブラックを買うか切るかのレースである。そしておれは切った。キタサンブラックは来た。強すぎた。あまりにも。ぐうの音も出ないほど強かった。北島三郎が祭を歌った。魂の歌である。冬の空に北島三郎のソウルがこだましたのだ。季節は冬である。おれは冬の寒空の下、クリスマスが近づいて素敵な季節ね、と服を脱ぎ捨てすっぽんぽんになりお腹を見せるパフォーマンスを行う。犬である。屈服した犬である。そしておれは犬である。君の犬である。

 

 

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