明日を変えるために今日できることは何か。
よく晴れた日曜日こそ規則正しく朝に起きる。テンテレテンテンテンテンテンテンテン♪とiPhoneのアラームが鳴るときっかり8時半に起床する。半分寝ぼけた状態でやかんに2リットルペットボトルに入った水を注いで火をかける。
タバコを吸いながらお湯がわくのを待つ。数分間のラグでお湯が湧き上がる。電気ケトルかもしくはアクアクララ的なウォーターサーバがあればお湯をわかす必要が無いのをおれは知っている。
数年前に実家に帰省するとウォーターサーバが導入されておりなんと便利なものかと膝を打った。導入するかどうか迷うけれどもまだ部屋には導入していない。朝起きてすぐにコーヒーを用意できるということは魅力的だ。1日の時間は限られており短縮できるところは短縮したい。
テレビをつける。テレ朝だ。ニチアサだ。プリキュアの最終回だ。1年間続いた今期のプリキュア、Go!プリンセスプリキュアが終わった。今期のプリキュアのエンディングでは「勇気試す今日はきっと、明日変えるためにあるから」と歌っている。明日を変えるために今日何かをしないといけない。勇気を試さないといけない。
来週からは魔法つかいプリキュアが始まる。プリキュアが終わるたび、プリキュアが始まるたびにひとつ歳を取る。始まった頃には32歳だったおれも33歳になっている。
プリキュア見てる間に一つ歳をとった。
— くれ えいぞう (@Eizo0000) January 30, 2016
またスロットに行ってしまった。
というと君は「いや、君と僕は他人でしかないので別段どうこう言うわけではないけれども、というか特に君に興味があるわけではないけれども、去年末も年初も君はスロットをやめると言っており、なんならブログにも今年はスロットをやめると書いているではないか。自分で言ったことを無下にする君の胆力は決して褒められたものではない。さらに言うと「行った」ではなく「行ってしまった」と書いているところ。自らの意志ではなく、抗えない力に誘導されたような書き方はえてして言い訳がましくみっともないことこの上ない。君はたとえ負けても勝っても、大負けしても大勝ちしても「行った」ではなく「行ってしまった」と書くのだろう。うしろめたいことだと自分で感じている証拠ではないか。そのうしろめたさは決してパチンコやスロットに興じることではなく、自分が言ったことも守れないことに対してのうしろめたさだろう。何が明日を変えるために今日何かをしないといけない、だ。君は明日を変えるために今日スロットに行ったというのか。財布の中身を枯らして明日を変えたのは間違いないだろう。お金をなくす勇気を試したとでも言うのか。何がプリキュアだ。」と言うかもしれない。
ぐぅの音も出ないさ。
やはり休日というのは鬼門だ。
何も今日は暇だったわけではなく、しないといけないというと語弊があるけれどもやっておいたら月曜日にだいぶ楽になる仕事があり新大久保と歌舞伎町の間にあるドン・キホーテの二階、コメダ珈琲に初めて行った。
全席電源が完備されており作業にはもってこいだ。シロノワールは頼まずコーヒーを飲みながら作業。macの中でwindowsを起動しパワポをゴニョゴニョする。
座席もふかふかで仕事が捗る。ルノアールよりも一段階安い料金も魅力的である。仕事が捗る。これがまずかった。
仕事がスイスイ進むことによって思っていたよりも全然早く作業を終えてしまったのである。パソコンを閉じて手持ち無沙汰のおれ、さてどうするか。
マンガ喫茶にでも行くか、コミティアやフェチフェスに行くにはさすがにもう遅い時間帯、出遅れた感は否めない。
行き着く先は年末の自分、年初の自分、スロットをやめるとブログに書いた自分、昨日までの自分に対する欺瞞であり冒涜だった。
どうにかしないといけないのはわかっている。
日曜日というのは危険だ。暇になったおれを何か縛るようなものが必要だ。誰かが、何かが、おれを縛ってくれないといけない。
明日を変えるために今日できることは何か。1月が終わる。何かを区切るにはよい日だ。明日からは2月だ。また新しい気分になれる。
寒空の下自転車をこぎ歌舞伎町に向かう。風林会館近くの雑居ビル、エレベーターに乗り込む。エレベーターを降りると左手にあるバー。重厚なドアの前に佇む。うっすらと中から音楽が聴こえる。ドアを開ける。大音量の曲に合わせて踊り狂う人たち。カウンターでビールをもらう。知り合いと話しながらお酒を酌み交わす。目の前に外国人の男が現れる。差し出した名刺を見ると緊縛マエストロと書いている。これだ。昨日までのおれを縛ってくれ。暇になったおれを縛ってくれ。スロットに行ってしまわないように。日曜日のおれをしばってくれ。明日を変えるためにしばってくれ。明日を変えるために今日できることは何か。勇気を今日試そう。プリキュアがそう歌ったように。