9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

写真撮ってくださいっていう。

写真撮ってくださいっていう。

 

写真があふれている。というのはおれの写真の話しではなくて、たとえばtwitterfacebookを眺めていると、今日はこれこれを食べました☆とか、どこどこ行ってきた♪とか、こういうシーンを見かけましたとか今どうだったとか。やはりビジュアルというのは視覚的にとらえられるためわかりやすく、写真というのは何かを伝えるうえで非常に有用なツールであるのは自明だろう。たとえば食事、20代中盤ごろのOLであるところの君が文章で「今日はほっけを食べて美味しかった〜〜」とfacebookに投稿したところでその美味しさの臨場感は伝わらず10いいねに過ぎないだろう。なんとか文章だけでがんばって「テーブルに運ばれたほっけはじゅうじゅうと油をたてていたの。やはりほっけには大根おろしと醤油だよねっ。テーブルに置かれたキッコーマン醤油の瓶の裏側、そこにある空気穴に指で蓋をしてどばばっと出るのを防ぐライフハック☆一滴一滴大根おろしに注いでいくのよ。それはまるで命の鼓動、リズム。雪のように白い大根おろしが少しずつ茶色に染まっていく。白という色は何色にも染まりやすいのね。うふふ、誰かさんみたい。今こそ大根おろしと醤油の黄金比、大根おろしの酸味に醤油が決して邪魔しない、醤油の風味に決して大根おろしの酸味が邪魔しない最高のタイミングでほっけの上に載せて箸を入れたのよ。その身はまるでしなやかに箸を通し一塊の魂となって私の口に運び込まれた。美味しッ♪」などと書いてもせいぜい12いいねである。文章だけというのはやはり読む労力を要するのであり、1日に与えられた時間を様々なコンテンツが奪い合う昨今では、見る方も文字を読まされるよりもぱぱっとビジュアルでわかりやすくしてほしいというのが本音であり、前述のような文章をつらつらと書き並べるよりもてらってらに油が光るよく焼かれたほっけの写真とともに「ほっけ!ほっけ!」と投稿するほうが30いいねはつくのである。つまりは写真とはわかりやすく伝えるだけではなく、受け取る側の労力を削減してあげるやさしさである。たとえばおれが職としているインターネットのサイト制作においてもつまりはいかに伝えたいことを伝えるかであって、では伝えるというのはつまりは伝わりやすい、伝わりやすいとはすなわち認知したタイミングでなんの労力も挟まずに感覚でわかる、興味を持つ、そういう風に伝えるべくやはり絵、ビジュアルというのは手段として非常にゆうこうであり大事とされておりデザイナーは写真撮ったり補正したり素材屋さんで意に沿う写真を買ったりして、どのようなビジュアルでもってよりわかりやすく伝えられるかを磨きに磨く。つまり人は労力を毛嫌いしており文章を読むのもめんどっちぃわけであって、それでいうとこのブログは最悪であり害悪であり、多からず読んでいただいている君の労力を消費させてしまっていると思うとそれはそれは胸が痛い。まぁ端的に言うと写真撮ってくださいっていう。

 

たしかにスマートフォンが普及した昨今、さらにいうと以前のガラケー時代から携帯についているカメラでパシャパシャと写真を撮ることが可能となり、カメラの画素数を競う時期もあったけれどもやはりスマートフォン、アプリによって補正やフィルタをかけるのが容易となり、instagramやその他画像加工アプリは、スマートフォンを持っている君なら何かしら入っているだろう。さらにはSNSである。twitterfacebook、つまりは人との接点が増えたのであり、そこで何かしらを伝えるとするとやはり手元にあるスマートフォンで写真を撮り、補正をした後にアップロードすれば一発でありその手順は非常に簡単である。こうして写真として産み出された記録はシェアされ君が伝えたいことが誰かに伝わるのである。ここで一つのキーワードとして記録というのが出てきたことに注意されたい。今のようにスマートフォンが出てきて写真が今ほど簡単ではないじ15年前ぐらいまでは、カメラを買ったり写ルンですを買ったりデジカメを買って持ち歩き、それをもってつどパシャパシャと写真を撮っていたわけであり、それを写真屋さんに持って行ってプリントしてもらっていた時代があったわけで、それはすなわち記録であるけれども、記録というのはつまりはいつか見るもので、それもまた伝えるということである。過去の自分が未来の自分にこんなことしてましたよ、とか楽しかったね、と伝えるための写真であり、つまりは伝えるというのは決して誰か対象があるものではなく、それが自分であってもよいということであり、未来の自分に伝えるものである。ここでいざ自分を振り返ってみる。本来シャイで繊細でナイーブであるところのおれ、自分の写真を撮るというのが苦手であり、酔っ払っているかラリっているときでないと写真に収まらないのであって数年前以前の写真はほぼないといっても大げさではなく、つまりは記録に残るのがいやだった時期が長く続いていたのである。スマートフォンが普及し写真を撮りやすくなった今、考えを改め自分の写真を残していきたいなぁと思うようになったわけであって、つまり何かというと、おれ、最近自分の写真を撮ろうと努力するようになったんすよ、写真。まぁ端的に言うと写真とってください、っていう。

 

しかしここで問題がある。最近ではスマホで自撮りというのがよくされており、自撮り棒なる自分で自分を撮るための棒や、自撮りを補正しいかに自分を美しく補正するかに特化したアプリや、自撮りはこう撮れという指南をする本なんかも出ており自分で自分を撮るというのが一般化されているのだけれども、どうしてもそれはできず、というのは自撮りをしている様がアレなかんじがしてどうにも馴染まず、そうなるとやはり誰かに写真を撮ってもらうことしかできないわけである。オモコロやヨッピーさんの取材のもとに遊びにいったり手伝いにいくと、いつもカメラマンが帯同しておりやはり撮ってもらうというのはいいなぁとか思うわけであるけれども、特に仕事でもなく趣味というか思いつきでやっているおれ、友人に手伝ってもらうのは悪い気がしてその辺にいる人に声をかけて写真撮ってください、っていう。たとえば今日、朝イチの仕事は浅草で打ち合わせであり、ともなると当然直行するわけで、東京の西側に住んでいてさらには遠くに出るのを嫌うおれ、浅草に行くのは稀の稀であり、せっかくなので早めに行って浅草寺にでも行ってみるか、となるのである。とするとここで記録である。今日という日におれは浅草に行ったんだぞ!と未来のおれに伝えるべく、記録を残すべく浅草寺である。9時半ぐらいの早い時間だったけれども浅草寺に行ってみたらば観光客が溢れていた。もちろん観光客の方たちも雷門の前で記念写真をバシャバシャ撮っているのであるがほぼほぼ外国人の方である。どうにか写真を撮ってもらいたいおれ、観光客の方にiPhoneを差し出しプリーズプリーズとか言いながら画面をタッチするジェスチャーを見せると、あ、こいつ写真とってほしいんだなというのはすぐにつたわり、無事雷門で写真を納めることができた。

 

さらには吾妻橋スカイツリーである。ここはわりかしスカイツリーがきれいに見えたり川をまたいだかんじが素敵。吾妻橋を渡ろうとしたおじさんに声をかけて撮っていただいた。 

 

この例で言うと、去年、こどものくにという牧場に行ったときにもいろんな方に写真を撮っていただいた。

 

一人で行動するとやはり誰かに頼らざるを得ず、人は一人では生きていけないと実感する。それでも君がどこかに出かけたなら写真を撮ったほうがよいだろう。撮ってもらったほうがよいだろう。いつかそれを見返すと楽しいことは間違いないさ。つらいことを思い出すときももちろんあるだろう。でもそれも一周まわったらいい思い出になるさ。つまり何かというと写真撮ろうぜってことでありそれで自分に伝えたらそれは素敵なことさ。もしも道で誰かに「写真を撮ってください」って言われたらどれだけ急いでいてもおれは撮ってあげるだろう。もちろんいいかんじの写真があるように1回だけじゃなくて、4,5回はシャッターを押してあげるよ。それで容量がパンパンになってもおれの知ったことじゃないさ。いつかは君といっしょの写真が撮れたらそれもまた素敵なことさ。一人で行動するとやはり誰かに頼らざるを得ず、人は一人では生きていけないと実感する。君といろんなところに行って、一緒に写真を撮って、ひとつひとつが思い出になって、そしていつか結婚式のときに思い出写真みたいなかんじで並べていって動画にしようぜ。詰めかけてくれた友達たちにおれたちの思い出をシェアするのさ。そして結婚したあとにもいろんなところに二人でいってそれがいつか三人になって、四人になって、未来に伝えようぜ。こんなにも幸せだったんだよって。そんな君は誰だ。おれにはわからないさ。まぁ端的にいうと写真撮ってください。

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