9回裏最後のバッターの最後の一球を、客席に向かって投げてそのままマウンドからピッチャーが消えてくようなブログ

平日は1000〜2000文字ぐらい、土日は4000文字ぐらい書きますがどちらも端的に言うと20文字くらいに収まるブログです。

行動と体験とアフィとライターとメディアと。

メディアがどうだとかステマ(誤用じゃない本来の意味での)がどうだとかインターネットが騒がしくなっていて、そういや昨日はアフィリエイトに火がついたなというかんじで。

 

www.buzzfeed.com

 

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春にして君を離れ

春。満開になった直後の雨で今年の桜が終わって晩春。春は新しい生活が始まる季節であって、いろんな初めてにあたる人もいるだろう。

 

最初にアガサ・クリスティを読んだのはいつだろう。

時期は覚えてないけど、たぶん高校か大学の頃で、読んだ本は『そして誰もいなくなった』というのは憶えている。

 

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雨降りの桜の木の下で

桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる、と言ったのは梶井基次郎であって、つまりは美しい桜を見てなぜこうも美しいのかと不安になる。この美しさには均衡を取るものがあるはずであって、その下にはどろどろとした死があることで均衡を取れる、そう思うことで主人公自身が心の均衡が取れる、そう思うことで神秘から自由になった今なら、彼らと同じように桜の下でお酒を飲めそうだ、というものであって。

 

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『金色機械』恒川光太郎 感想:読んだ本

S級である。何がS級かというと面白さがS級である。では何の面白さがS級であるかというと表題の恒川光太郎著、『金色機械』である。

 

 

金色機械 (文春文庫)

金色機械 (文春文庫)

 

 

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『乱反射』貫井徳郎 感想:読んだ本 あとは『人間の屑』『バタフライ・エフェクト』

様々な要素が絡み合ってストーリーが螺旋状に進んで一点に帰着するといった話はミステリーではしばしばある話だけれども、その絡み合う要素というのは謎めいた要素であって、この謎がどのようにつながっていくのかドキドキしながら読み進めて、最後の最後、終点に至ったところでそれらが全てクリアになる爽快感はこの上ない。

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『乱反射』貫井徳郎 感想:読んだ本

様々な要素が絡み合ってストーリーが螺旋状に進んで一点に帰着するといった話はミステリーではしばしばある話だけれども、その絡み合う要素というのは謎めいた要素であって、この謎がどのようにつながっていくのかドキドキしながら読み進めて、最後の最後、終点に至ったところでそれらが全てクリアになる爽快感はこの上ない。

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ミックスチャンネルと吐き出される詩と苦境と呪詛と。

mixchannel、つまりはミックスチャンネル、カタカナにしただけなんだけど動画SNSであって、中学生や高校生が動画をアップする。ではどのような動画かというと、まぁ「踊ってみた」とか「描いてみた」とかいろいろあるんだけど、とりわけ目立つのはLOVE、つまりはカップルの動画であって。

 

たとえば

みたいなかんじで二人の今までを振り返って、どこでどう出会って今こうやってあんなことやこんなこともあるけれどもこれからもよろしくねといった素直でド直球なポエトリーがとてもノスタルジック。いや、ノスタルジックというとおれにもそういう過去があったかのように言い方だけど記憶の隅を覗いてもそのような甘い青春はない。無いのだ。 

 

こういった動画は、短い動画や写真を切り貼りして、その上から文字を乗せて音入れたり普通に動画編集だなっつって、たまに編集力すげぇなってのもあるなっつって見ていておもしろい。

 

やはり刺さるのは言葉であって、自分の言葉、あるいは日記を読み返して浮かぶ思い出なんかは語る当人の、今面している状況、その状況に対する満足感、今こうやって青い春を駆け抜けるリアルタイムが見て取れる。

 

とはいえ全てが自分の言葉ではなく昨今目立つのは歌詞便乗であって、たとえば

mixch.tv

なんかは全方位で権利アウトなので埋め込みではなくリンクまでにするけれどもFUNKY MONKEY BABYS のLovin' Lifeっていう曲を流しつつ歌詞を文字起こししたものを貼り付けているのであって全方位で権利アウトだろ感あるんだけど、たとえばそれは自分たちの状況にあった歌詞ということで、あるいは日常を切り取ったMV的な、歌詞とリアルライフが連動しているような形なのかもしれない。

 

つまりは歌詞が高校生ポエムと同じぐらいのわかりやすさに落ちているのであって。詩というのはぴたっと型にはまるようなものでもないんだけれども、総じて自分の思いや状況を言葉にしたものであって。たとえば宮沢賢治の『永訣の朝』では空と雪の描写と妹の状況、宮沢賢治本人の悲しみと願いや決意が吐き出されていて、たとえば中原中也の『汚れつちまった悲しみに』なんかも汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかると言った形で、進むに連れて「悲しみに」と「悲しみは」が分かれてよくわからんけど中也の当時の苦しさが見て取れ、雪が降り風邪が吹き寒々しいつらさも伴い、吐き捨てられたようなその言い回しが印象的でかっちょいい文体となっていたり。つまりは詩というのは吐き出されたものであって、内臓を吐き出さんばかりに吐き出されたものであって。

 

 

たとえば「会いたくて会いたくて震え」た西野カナは吐き出しているのであって、つまりは苦境である。ポジティブの吐き出しではなくネガティブの吐き出し。これは震えの表現でもって揶揄されたりするけれどもこの吐き出しは真のもの。吐き出されたものはその分重みが増して受け止める側も足腰を鍛えないといけないのであって、その点でいうとふわふわと軽い「君に注ぐただ一つの愛」だのどうのは吐き出されたものではなく、安全圏から受け止めることができる。負担を受けない、あるいは負わせない結果軽い詩ができてしまうのであってもっと吐き出せ。もっと震えろ。

 

 

先述の西野カナではたとえば歌詞はその詩はお付き合いしていた男性と別れた今、

その彼には他に想い人がいるのであって、とはいえまだ西野はその彼を想うのであり、とはいえ会えない、会いたい、会えない、会いたい、会えない、といった呪詛であって、それをもってして震える。私に見せてくれたあの笑顔も言葉も今彼女に向けているのかという呪詛である。

 

つまりは本質は会いたいであって、それでいうとこの詩は「会いたい×10000」で成立する。とはいえ呪詛である。聞くあなたにもこの呪詛に取り込みたい。この呪詛に押し付け幸せな全員ぶっ潰してやるという呪詛であって、そのような呪詛を言葉足らずゆえにポジティブに受け取られることは遺憾であって、これは呪詛なんだと言葉を補足しないといけない。結果、震えるのであって、この震えは怒り、悲しみ、といったネガティブなもの。

 

あまりにも臓物を吐き散らすかのように吐き出された詩を以て感心するのであって、それはやはり苦境、環境による厳しさで体内に蓄積されていく禍々しいものであって、mixchannnelに投稿する中高生もそのためには苦境に立ってみてほしい。震える。

 

 

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